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2015年11月 3日 (火)

小早川、裏切りに迷い無し

「関ヶ原合戦」の不都合な真実』(安藤優一郎・著、PHP文庫)に、小早川秀秋の裏切りは開戦とほぼ同時だったと記されているのを見て「ひょえ~」と思った。そればかりか、開戦時刻は定説の朝8時ではなく10時、西軍は2時間程度で壊滅したという。同書は最近の研究を一般向けにまとめた文庫本という感じなので、これはそもそも誰の説なんだろうと、多くの参考文献が示されている『こんなに面白いとは思わなかった!関ヶ原の戦い』(渡邊大門・著、光文社知恵の森文庫)も参照して調べてみると、白峰旬という先生が本(『新解釈 関ヶ原合戦の真実』宮帯出版社、2014)を書いたものと分かった。

通説では慶長5年(1600)9月15日、秀秋は戦いが始まってから午前中は東軍西軍どちらに付くか迷っていたが、昼頃に徳川方から催促の鉄砲が撃ち込まれたのをきっかけに裏切りを決断し、大谷吉継陣に攻め込んで、西軍は総崩れになったとする。しかし白峰先生の本によると、これは江戸時代の軍記物の記述を元にしたもので根拠は無く、一次史料のみから読み取れるのは、小早川は巳の刻(午前10時頃)の開戦後すぐに裏切り、石田三成方は短時間で敗北した、という事実である。関連する一次史料として挙げられているのは、「(慶長五年)九月十七日付松平家乗宛石川康通・彦坂元正連署状写」、『十六・七世紀イエズス会日本報告集』など。

どうやら、小早川君は最初から東軍としてやる気まんまんで松尾山に布陣したものと見える。小早川の進出は、先に着陣していた大谷隊の脅威となり、西軍主力は大垣城を出て、急ぎ関ヶ原に向かう。そして当日は現地で態勢がまだ整っていなかったところを、小早川の大軍に一気に攻められて、あっという間に崩壊しちゃった。みたいです。

戦いがあっけなく終わってしまったので、後世の軍記物はあれこれ話を盛ることで面白く仕立て上げたと。まあ面白おかしい話を一概に否定するものではない(今の「歴史ドラマ」もそんなもんだろうし)けれど、とにかく歴史研究は一次史料の批判検討が基本だから、これからも根拠の曖昧な「通説」はどんどん見直されていくのだろう。

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