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2015年8月11日 (火)

「お詫び」より「懺悔」の気分

このところ当然のようにテレビでは戦争関連の番組が目に付いて、いくつか眺めてみたのだが、「特攻」や「原爆」の話には気が滅入るばかりだった。

1945年夏、アメリカのトルーマン大統領は始めから原爆の使用ありきで行動する。ポツダム会談の開催を6月から7月へ引き延ばし、核実験の成功と共に日本への原爆投下を決定。ポツダム宣言を日本が簡単には受け入れられない形で発表し、「予定通り」日本が宣言を無視したところで原爆投下を実行。ソ連に対して自らの優位も示すなど、国際政治の冷酷な駆け引きの中で、広島・長崎20万の命は失われた。日本は日本で、この期に及んでも手前勝手な妄想の中にいた。軍の中枢部は、本土決戦で一億総特攻、敵に甚大な損害を与えてから講和に持ち込むという、冷静に考えればほぼ不可能な「作戦」を描いていた。例えば練習機をかき集めて特攻に使うというのだから、もはや正気ではない。70年前、日本人はこんなにも愚かだった。ああ、気が滅入る。

本日付日経新聞コラム「春秋」には共感する部分があった。こんな意見だ。

安倍首相が戦後70年談話を14日に出す。「侵略」や「お詫び」などアジア諸国に向けた文言が焦点だが、注文するなら、無謀な戦線拡大や本土への相次ぐ攻撃を止められず、国と国民を存亡の危機に立たせたことへの言及が欲しい。愚かな政策は繰り返さないという決意表明だ。安保政策の転換点に、意義あることと思う。

・・・歴史に向き合う時、自らの愚かさを悔い改める、いわば「懺悔」の態度が求められるのではないかと思う。日本は外に向けて「お詫び」するよりも、内向きに「懺悔」する姿を外に見せる方が、反省の心をより強く伝えるものになるかも知れない。

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