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2015年5月31日 (日)

17世紀キリスト教国家観の転換

放送大学「ヨーロッパの歴史Ⅰ」講座テキストから、神聖ローマ帝国における国家観の転換を扱っている部分(皆川卓・山梨大学准教授の担当)を以下に要約的にメモする。

中世ヨーロッパは「キリスト教国家」と呼びうる一つの巨大国家で、帝国や王国はその一部だった。世界も国も全て神の被造物という理解であり、皇帝や王も自身の権力を神の権威によって正当化した。
中世の神聖ローマ帝国も、キリスト教信仰に支えられていた。しかし帝国の皇帝は世界の支配者として、同じく世界の教会の頂点に立つローマ教皇としばしば対立した。その際に教会の支持を得た領邦君主や帝国自由都市も「神の付託」を掲げることができた。皇帝は聖性を独占することはできなかったのである。

16世紀の宗教改革以降は「神の付託」、神意そのものの根拠が揺らいでくる。プロテスタントの間では、カトリックの皇帝が君臨する帝国をどう理解するのかが深刻な問題となった。さらに三十年戦争(1618~1648)をきっかけに、帝国とは何かという議論が活発化する。
プロテスタントは聖書を神意の拠り所とするが、神意の見つけ方は聖書には書かれていない。そこで生まれたのが、自身の理性を働かせ、経験的事実を受け止めて、現実の国家を動かす神意を知ろうとする姿勢である。当時、デカルトの『方法序説』に示されるように、神の創造した自然を各人の理性によって受け止め、誰もが確実と認めうる論証によって神意をつかもうとする、そのような時代背景があった。

国家観が「神の国家」から「人の国家」へ転換する決定打となったのは、トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』(1651)である。このイングランドの政治哲学者は神の存在を否定はしなかったが、神が人々に理性を与えて、後は人間がその理性を使って自分自身に好ましい状況に導くという構図で国家を説明した。ホッブズの発想は、神の付託を個々の政治行為から切り離すという革命的なものだった。

ホッブズの衝撃を受けたプーフェンドルフの著作『ドイツ帝国の状態について』(1667)では、神の付託という発想はほぼゼロであり、これ以降、政治理論の世界では、帝国が「神の国家」であるという議論は急速に廃れていった。

こうして「神の国家」ではなくなった近世の神聖ローマ帝国は、まさしく「神聖でもローマ的でもなく、帝国ですらない」(ヴォルテール)、「人の国家」(領邦)の連合体であった。

・・・近代国家論においては、やっぱりホッブズの存在は大きいのだな。ところでこの放送大学「ヨーロッパの歴史Ⅰ」全15回講座の中で、朝日カルチャーセンター講師でもある甚野、皆川両先生の講義は要チェックです。7月には再放送が予定されています。

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