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2015年4月20日 (月)

丹羽長重(初代白河藩主)

先日、郡山近辺を旅した時に、白河にも立ち寄ったのだが、そこで初めて、丹羽長秀の息子、丹羽長重が初代の白河藩主であると知って「へぇ~」って感じだった。白河藩というと松平定信のイメージが強いのだが、戦国時代好きには「あの丹羽長秀の息子かぁ~」という感じでより親しみやすい、というのも変だが、惹きつけられるものがあるわけだ。しかもその生涯の浮き沈みの激しさを知ると、ますます感慨を深くするのである。

丹羽長重は元亀2年(1571)、岐阜で生まれた。天正13年(1585)、父・長秀没。15歳の長重は越前123万石を継ぐが、すぐに羽柴秀吉から若狭12万3千石に減封処分が下る。その後も国替えを経験。慶長5年(1600)、「関ヶ原」に係る争いの中で徳川家康により領地を没収されるが、慶長8年(1603)に常陸国古渡1万石を与えられて復活。2代将軍秀忠の時代に入り元和8年(1622)に陸奥棚倉5万石、寛永4年(1627)に白河10万石を与えられる。時に長重57歳。白河に入った長重は小峰城の大改修を行う。城下町を整備して、現在の白河市街地の基礎を作った。寛永14年(1637)、67歳没。

信長の死後、織田家を蔑ろにする秀吉の振る舞いを、丹羽長秀は快く思っていなかったらしい。長秀が世を去るやいなや、ライバルの勢力を容赦なく削減する動きに出たのも、最高権力者を目指す秀吉の「冷酷」の現われなのかなと推測する。

白河小峰城は長重の行った改修により、東北では珍しい総石垣造りの城となった。父の長秀は安土城の普請奉行を務めた程の人物であったから、長重も受け継いだものがあったのだろうと推測する。

いずれにせよ、丹羽長重の不撓不屈の人生に感心しまくり。

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