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2015年4月26日 (日)

「ライシテ」の迷走

きのう、朝日カルチャーセンターの講座で「ライシテ」の話を聞いた。そしたら今日の日経新聞に「ライシテ」のことが書いてある。何か妙な偶然だな~と思いつつ、その論説委員コラム(フランスは罠にはまったか 変質する「脱宗教」の理念)からメモ。

ライシテというフランス語は「脱宗教性」などと訳される。フランスが宗教とは無関係の世俗国家であることを説明するキーワードだ。1905年、ライシテを保障する政教分離法ができた。それまでカトリック教会と国家権力は不可分で、教会は政治にも個人の生活にも強い影響力を持っていた。

「教会との長い戦いの末に生まれた法律の理念は、国家と教会を分けることで個人の信仰や信条の自由を認め、多様な考えの人々を共存させることだった」。仏国立高等研究院でライシテ研究部門の長を務めるフィリップ・ポルチエ氏は言う。ライシテとは「市民の自由を保障する理念」だったのである。

その理念が「排除のための武器」に変質しているという。排除されているのは、端的にいうならイスラム教の信仰である。
ここ15年ほど、事実上はイスラム教を標的に公共の場から宗教を排除する動きが続いている。公立の小、中、高校で生徒が宗教的な「しるし」を公然とつけることを禁じた2004年の法律は代表だろう。イスラム教徒の女生徒のスカーフを指すのは明らかだったからだ。

しかしテロの後、イスラム教排除の動きは度を越しているようにみえる。
「イスラム教徒は真のフランス人ではない。なぜなら、ライシテを正しく理解していないからだ」。そんな意見は党派を問わず政治家の間で強まっているという。そのときのライシテは、イスラム教信仰が人目に触れること自体を問題にする「排除のための武器」だ。

3月、「イスラム嫌い」が高じることへの警戒を呼びかける声明を知識人約100人が発表した。その一人で高校の哲学教師のジョエル・ロマン氏は、「いま、ライシテをめぐる議論は自由を保障するという元の理念から脱線し、分別も冷静さも失っている」と懸念を隠さない。

・・・そもそもライシテという「政教分離」「世俗化」の論理は、イスラムの人々には馴染まないような気がする。それを法律として強制的にイスラムの人々に適用すれば、結果的に彼らを排除することになるのは道理にも思える一方で、宗教から自由でなければならないという原理が、信教の自由を抑圧する方向に働いているようにも見える。

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