« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »

2015年4月27日 (月)

アイスコーヒーはクールだ

演出家・鴻上尚史の新刊『クール・ジャパン!?』(講談社現代新書)は、自身が司会を務めるNHK・BS番組「cool japan」の中で、外国人に聞いた日本のクールなものあれこれについてまとめた本。その冒頭に置かれたのは「アイスコーヒーはクールだ」という話。以下にメモ。

「どうして『アイスコーヒー』がクールなの?」と素朴に訊くと、イタリア人が「私の国にはなくて、日本に来て初めて飲んで感動したから」と答えました。番組に出ていた他のヨーロッパ人やブラジル人、ロシア人がうなづきました。
彼ら彼女は口々に「日本に来て、夏、暑い時にアイスコーヒーを飲んで本当に美味しかった。自分の国ではどんなに暑くても、コーヒーはホットしかない」と言いました。
僕は本当に驚きました。
調べてみれば、「アイスコーヒー」は、どうも日本発のもののようでした。
ヨーロッパやブラジルの人たちがアイスコーヒーを発想しなかったのは、「コーヒーは香りを楽しむものだ」という絶対のルールがあるからです。冷たくしてしまうと、香りを楽しめなくなると思っているのです。
とにかく、日本人は熱いコーヒーに氷を入れて、アイスコーヒーを作った。それがやがて、アジアに広がり、そして世界的にも知られ始めている、というのが現状です。
「アイスコーヒー」は、日本人の知らないところで、「クール・ジャパン」なのです。

・・・この話を読んで、鴻上氏同様、僕も本当に驚いた。この本の中には他にも、日本人には当たり前のものが外国人にとってはクール、という事例が多々挙げられていて、いろいろと「発見」がある。ちなみに、外国人100人に聞いたアンケート結果による「クール・ジャパン」ベスト20は、ウォシュレット、お花見、100円ショップ、花火、食品サンプル、おにぎり、カプセルホテル、盆踊り、紅葉狩り、新幹線、居酒屋、富士登山、大阪人の気質、スーパー銭湯、自動販売機、立体駐車場、ICカード乗車券、ニッカポッカ、神前挙式、マンガ喫茶、とのことです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月26日 (日)

「ライシテ」の迷走

きのう、朝日カルチャーセンターの講座で「ライシテ」の話を聞いた。そしたら今日の日経新聞に「ライシテ」のことが書いてある。何か妙な偶然だな~と思いつつ、その論説委員コラム(フランスは罠にはまったか 変質する「脱宗教」の理念)からメモ。

ライシテというフランス語は「脱宗教性」などと訳される。フランスが宗教とは無関係の世俗国家であることを説明するキーワードだ。1905年、ライシテを保障する政教分離法ができた。それまでカトリック教会と国家権力は不可分で、教会は政治にも個人の生活にも強い影響力を持っていた。

「教会との長い戦いの末に生まれた法律の理念は、国家と教会を分けることで個人の信仰や信条の自由を認め、多様な考えの人々を共存させることだった」。仏国立高等研究院でライシテ研究部門の長を務めるフィリップ・ポルチエ氏は言う。ライシテとは「市民の自由を保障する理念」だったのである。

その理念が「排除のための武器」に変質しているという。排除されているのは、端的にいうならイスラム教の信仰である。
ここ15年ほど、事実上はイスラム教を標的に公共の場から宗教を排除する動きが続いている。公立の小、中、高校で生徒が宗教的な「しるし」を公然とつけることを禁じた2004年の法律は代表だろう。イスラム教徒の女生徒のスカーフを指すのは明らかだったからだ。

しかしテロの後、イスラム教排除の動きは度を越しているようにみえる。
「イスラム教徒は真のフランス人ではない。なぜなら、ライシテを正しく理解していないからだ」。そんな意見は党派を問わず政治家の間で強まっているという。そのときのライシテは、イスラム教信仰が人目に触れること自体を問題にする「排除のための武器」だ。

3月、「イスラム嫌い」が高じることへの警戒を呼びかける声明を知識人約100人が発表した。その一人で高校の哲学教師のジョエル・ロマン氏は、「いま、ライシテをめぐる議論は自由を保障するという元の理念から脱線し、分別も冷静さも失っている」と懸念を隠さない。

・・・そもそもライシテという「政教分離」「世俗化」の論理は、イスラムの人々には馴染まないような気がする。それを法律として強制的にイスラムの人々に適用すれば、結果的に彼らを排除することになるのは道理にも思える一方で、宗教から自由でなければならないという原理が、信教の自由を抑圧する方向に働いているようにも見える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月23日 (木)

IPO時の「売出し」は要らない

株式上場時に行われる既存株主からの保有株売出しは、株価形成の歪みにつながる――今週の「週刊東洋経済」(4/25号)の記事(ミスターWHOの少数異見)からメモ。

スマホゲームのgumiは2014年12月18日に東証上場、初値は公募価格と同じ3300円。その2ヵ月後半後の3月5日、通期の営業利益予想を13億円の黒字から4億円の赤字に下方修正したのだ。翌日、株価はストップ安の2081円、時価総額の25%が吹っ飛んだ。

國光社長は株式公開時に12万株を売り出して3.96億円を手にしている。
しかも、gumiは14年の6月と7月に1214円で取引先やベンチャーキャピタルに割当増資をし、引受先の多くが売り出しをしている。売り出し株数が公募株数の7倍だったため、市場では高値で売り抜けるためのIPO(新規株式公開)だったのでは、という見方さえある。

IPOをする会社と幹事証券には、公募価格を高くしたいインセンティブが働く。会社はできるだけ多く資金を調達したいし、幹事証券は手数料を最大化したい。
既存株主からの売り出しが加わると、さらに個人の欲が乗ってくる。公募価格が高いほど創業者利益は大きくなる。草創期にリスクマネーを提供したベンチャーキャピタルなども高値歓迎だ。

株式の流動性確保など事情はあろうが、売り出しを認めるかぎり同じことが起きる。

海外の例が参考になる。たとえば、台湾のIPOは原則として公募のみで売り出しはしない。約半年間、市場が株価の妥当性を見極めてから、創業者らは保有株を売り出す。

・・・将来的な会社の成長持続に確信があるのなら、経営者や既存株主が自分の保有株式を新規公開時に慌てて売り出す必要もないはず、だよな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月20日 (月)

丹羽長重(初代白河藩主)

先日、郡山近辺を旅した時に、白河にも立ち寄ったのだが、そこで初めて、丹羽長秀の息子、丹羽長重が初代の白河藩主であると知って「へぇ~」って感じだった。白河藩というと松平定信のイメージが強いのだが、戦国時代好きには「あの丹羽長秀の息子かぁ~」という感じでより親しみやすい、というのも変だが、惹きつけられるものがあるわけだ。しかもその生涯の浮き沈みの激しさを知ると、ますます感慨を深くするのである。

丹羽長重は元亀2年(1571)、岐阜で生まれた。天正13年(1585)、父・長秀没。15歳の長重は越前123万石を継ぐが、すぐに羽柴秀吉から若狭12万3千石に減封処分が下る。その後も国替えを経験。慶長5年(1600)、「関ヶ原」に係る争いの中で徳川家康により領地を没収されるが、慶長8年(1603)に常陸国古渡1万石を与えられて復活。2代将軍秀忠の時代に入り元和8年(1622)に陸奥棚倉5万石、寛永4年(1627)に白河10万石を与えられる。時に長重57歳。白河に入った長重は小峰城の大改修を行う。城下町を整備して、現在の白河市街地の基礎を作った。寛永14年(1637)、67歳没。

信長の死後、織田家を蔑ろにする秀吉の振る舞いを、丹羽長秀は快く思っていなかったらしい。長秀が世を去るやいなや、ライバルの勢力を容赦なく削減する動きに出たのも、最高権力者を目指す秀吉の「冷酷」の現われなのかなと推測する。

白河小峰城は長重の行った改修により、東北では珍しい総石垣造りの城となった。父の長秀は安土城の普請奉行を務めた程の人物であったから、長重も受け継いだものがあったのだろうと推測する。

いずれにせよ、丹羽長重の不撓不屈の人生に感心しまくり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月19日 (日)

三春滝桜

広告に影響されることは結構あるもので、JRのポスターで見た福島県三春の滝桜の見事な美しさに「こりゃすごい」と圧倒されて、「じゃ、行ってみるか」と決めた。

三春滝桜は日本三大桜のひとつ。あと二つは岐阜県の根尾谷淡墨桜と山梨県の山高神代桜。滝桜は大正11年に、桜の木としては初めて天然記念物に指定された。エドヒガン系ベニシダレザクラで高さ13.5メートル、推定樹齢は1000年を超える。

1
郡山まで新幹線、そこから磐越東線に乗り換えて2つ目の三春駅下車。桜の時期に出ている臨時バスに乗り、20分程で観桜コースの入り口に到着。5分程緩やかな上り坂を歩くと、目指す滝桜が現れる。この時期は老若男女、団体さんも含めて、たくさんの人がやって来る一大観光地なわけですね。

Photo

三春は江戸時代には秋田氏5万石の城下町だったとのことだが、それより前に人はどれくらいいたのだろうか。滝桜の樹齢1000年と聞いて、今は大勢の人が見に来るけれど、過去には人知れず花を咲かせて散らせていた時もあったのかなぁと考えたりした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月12日 (日)

川瀬巴水展(駿府博物館)

知ってる人には「今さら」だろうけど、川瀬巴水(かわせはすい、1883-1957)の版画作品が人気らしい。この芸術家の名前を自分が知ったのはホントにごく最近のこと。先月3月初めの日曜日の午後、だらだらとテレビを眺めていて、「なんでも鑑定団」(再放送)の中で巴水が取り上げられていたのを見た。その作品はイラストみたいな版画という感じで、何とも印象的。実物を見たいと思ったが、日本橋・高島屋の展覧会(1月)はとっくに終わっていた。残念に感じていたら、その展覧会が4月4日から静岡で開催との情報を得て、とにかく行こうと決めた。この「生誕130年」回顧展は2013年11月から千葉~大阪~横浜~山口~川越~京都~東京と全国を巡回していたもので、静岡展は追加開催のようだ。何にせよラッキーという感じで昨日の土曜日、静岡に向かった。

Photo展覧会場である駿府博物館は、静岡駅からバスで10分位、静岡新聞社の近くにある。行ってみると、こじんまりした古いビルの中に入っていて、「え、ここ?」みたいな感じだった。自分が入館したのはお昼頃だったが、来場者は少ない。東京展は人様のブログで見ると凄い混雑だったようなので、ゆっくり見れるのは良いことだと思う。

巴水は全国を旅して、各地の風景を次々に作品化していったのだが、個人的には東京の風景の作品をもっと数多く残して欲しかったなという感じがした。

静岡展は6月7日まで開催。前期(4/4~5/6)と後期(5/9~6/7)で展示替えあり。

近々日本橋丸善のギャラリーでも川瀬巴水の展示会がある(4/15~4/21)ので、会社帰りにちょいと覗いていこうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月 5日 (日)

ふしぎなイスラム教

雑誌「SAPIO」5月号に掲載されている橋爪大三郎と佐藤優の対談記事「ふしぎなイスラム教」、橋爪発言から以下にメモ。

そもそもイスラムの理想は、アッラーが1人の預言者を選び、預言者が聞いたアッラーの言葉に従う人々が全人類に広がって、平和なウンマ(イスラム教の信仰共同体)を作ること。では、軍事や政治の最高責任者であるカリフはイスラム世界の王なのか、という問題があります。
カリフとは、王であってもいいが、王でなくてもいい。カリフは常にいるのが望ましいが、現実問題としていない時期もある。
王なら後継者を任命していく継続の手続きがありますが、カリフには継承の手続きがあるかどうかはっきりしないのです。

一方、キリスト教は王に服従する文化を持っている。キリスト教がローマ帝国に浸透したのは2世紀末。政権と教会の関係は潜在的には敵対関係だけど、妥協のようなものが成立している。
ヨーロッパでは、近代以降にナショナリズムが生まれました。キリスト教徒だからではなく、フランス人だから、あるいはイタリア人だから・・・・・・自分たちの政権を樹立する権利があると考えるようになったのです。それができないから、やはりイスラム教は、ナショナリズムとは反りが合わないのです。

イスラム的な考えでは国家よりも人類普遍共同体のウンマに対する意識の方がより強い。そして法律といえば、コーランに基づくシャリーア1つだけ。そうなると、ヨーロッパの近代ナショナリズムに対応する制度や仕組みを作れない。キリスト教はどんどんバージョンアップしていくのに、イスラム教はバージョンアップできない。

・・・「バージョンアップ」を、野暮ったく言い換えれば「世俗化」になるだろう。イスラム社会は宗教が根本的ということで、国家や民族よりも宗教を優先する意識が強い。政教一致が理想のイスラムはもともと政教分離、世俗化、近代化等々を受け入れるようにはできていないと思われる。逆に見れば、イスラムは宗教として最初から完成されていたとも言える。イスラムに先行する同じ一神教のキリスト教は、より時間をかけて確立していった宗教なので、結果的に歴史の動きと共に展開し変貌していったのに比べると、イスラムはいかにも硬直的で融通の利かない印象がある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月 3日 (金)

イスラームの歴史

今週の「週刊東洋経済」(4/4号)の特集は「世界史&宗教」。最近は経済誌でしばしば歴史や宗教の特集が組まれるのも御時世というか。イスラームの歴史について、東長靖・京都大学教授の寄稿からメモする。

神と人との間の関係を表す縦軸と、人と人との間の横軸を合わせたものが、イスラーム共同体(ウンマ)といわれるものだ。イスラームの本来の理想は政教一致の世界であり、縦軸と横軸が混然一体となっている。

イスラームの誕生から現在に至る1400年ほどの歴史は、三つの時期に分けて考えるとわかりやすい。第1期はイスラームの勃興から、たとえ名目的であってもウンマの長であったカリフが殺害され、アッバース朝が崩壊するまでである。これを古典期と呼ぶ。

キリスト教の法王があくまで宗教的な指導者であるのと異なり、カリフは宗教的な指導者と政治的な指導者を兼ねている。ただ本当にカリフに力があったのは最初の300年程度にすぎない。その後はカリフに代わって軍事指導者(スルターン)が実権を握る。ちょうど日本の戦国時代の天皇と武家の関係と同じで、カリフは権威を維持したが、象徴的な意味しか持てない時代になった。

古典期の終わりを告げるのは、モンゴルの侵入である。これによって1258年にアッバース朝が倒れた。ただこの侵略は、イスラーム世界の東半分にとどまり、モンゴル自体がイスラームに改宗したため、文化的には逆にモンゴルを征服した。
中世のイスラームは、世界の最先進地域として栄えることになる。この時代にイスラームは東南アジアやアフリカなどに領土を広げ、オスマン帝国は16~17世紀に二度ウィーン包囲を行い、今のイランにサファビー朝、インドにムガル帝国が君臨した。

欧州が力をつけ、こうした状況が引っ繰り返されたのが近代である。政治史的には1798年のナポレオンのエジプト征服がイスラームの近代の始まりとなる。これ以降、オセロのようにイスラームのほぼ全域が欧州列強によって植民地化されていく。

近代のイスラームは植民地支配されつつ、「国民国家」化も進む。
近代のイスラームの方向性は大きく二つに分かれる。一つは西洋近代化や世俗化を進めようという動き。もう一つは、イスラームそのものを復興させようというものだ。

イスラーム世界の人々は今後、どのような社会を目指そうとしているのか。それは民主的な世俗政体からイスラーム復興に基づく社会まで、幅が広いと考えたほうがいい。

・・・「アラブの春」の後にやって来たのが「イスラム国」というのも何だかなぁという感じだが、イスラームの理想は政教一致、というのがイスラームの近代化あるいは民主化のネックになっているんだろうな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月 2日 (木)

相場に左右されない人生

「相場が人生を左右するなんておかしい」と言うのは、ファイナンシャルプランナーの三輪鉄郎氏。日経新聞電子版本日付記事「わたしの投資論」からメモする。

マーケットではきのうまで正しかったことがオセロゲームのようにがらっと変わってしまうということが起こるんです。そうなってしまうと一個人や一企業の力ではどうにもなりません。

私には何年後の相場を当てようなんていう発想は一切ありません。
先のことは分からないという前提に立てば、投資をするにしても相場を張るわけにはいきません。そうすると、やっぱり分散投資が一番なんです。

こういう話はつまらないですし、何より投資に対して夢も希望もロマンもないですよね。それでも、相場だとか、特定の金融商品だとかに人生が左右されてしまうなんておかしいと思いませんか。
そういう意味では、最初は少額で分散投資ができる投資信託から始めるのがいいでしょう。

突き詰めれば資産運用とは「お金の持ち方」です。定期預金だけの人も、銀行に定期預金という形で貸しているわけですし、デフレの時代にはそれでよかったわけですが、これからは誰もがインフレに備えないといけません。インフレとは通貨がモノに対して弱くなることです。
だとしたら預金じゃないですよね。日銀は物価の上昇率を2%まで上げようとしています。それが達成されれば、金利も2%に近づいていくでしょう。まず最低限、それに負けない利回りを確保することです。それなら投信でも十分実現できます。

投資はあくまで人生をよりよくしていくためのものですから、自分に一番合ったやり方を、人生とお金の関わりという大きな視点の中で考えてみてください。大切なのは「投資のために生きる」のではなく、「人生のための資産運用」という基本を忘れないことです。

・・・最近、この「わたしの投資論」をメモすることが多くて、「投資はつらく苦しいけどやるしかない」(小幡績氏)、「相場は極められないからこそ向き合う価値がある」(広木隆氏)、そしてこの三輪氏の「相場に人生が左右されてはいけない」、いずれも「そうだよなあ」と共感する考え方なのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »