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2015年3月 5日 (木)

戦艦武蔵、発見

本日付日経新聞コラム「春秋」からメモする。

捷一号作戦――。昭和19年7月、日本海軍はフィリピンに迫る米軍を迎え撃つ覚悟を決め、その戦いをこう名づけた。戦勝を意味する「捷」の文字に悲壮な決意をこめての立案である。しかし3ヵ月後、レイテ島沖での実戦は戦艦3隻、空母4隻を失う大敗に終わった。

「大和」と並ぶ巨艦「武蔵」が最期を迎えたのはこのときである。その悲劇の戦艦が比中部シブヤン海の水深1千メートル地点で見つかったそうだ。
米マイクロソフトの共同創業者で、海洋探査にかかわる資産家の発見だという。

あの戦争ではおびただしい数の艦艇や徴用船が沈み、いまもそのままだ。太平洋海域には過ちと無念の記憶が満ちている。

捷号作戦には本土周辺での戦いを想定した二号、三号、四号も用意されていた。さらにはずばり本土決戦を指す「決号作戦」も大本営は考えていたという。武蔵発見の報に接して胸をよぎる、歴史の痛苦である。

・・・レイテ沖海戦で戦艦では武蔵のほかに、山城、扶桑が撃沈された。大和、武蔵を擁する栗田艦隊とは別行動だった2隻は、スリガオ海峡の夜戦で米戦艦6隻から集中砲火を浴びて、生存者は皆無に近い悲惨な最期を遂げた。空母では、真珠湾以来の歴戦の強者である瑞鶴が小型空母3隻を従えて、小沢艦隊の中核を形成。栗田艦隊のレイテ湾突入を側面支援するべく、敵の攻撃を引きつけた空母4隻はエンガノ岬沖に消えた。小沢艦隊所属の航空戦艦、伊勢と日向の奮戦も、戦史好きには忘れられない。

レイテ沖海戦では、神風特別攻撃隊も初めて出撃した。昭和20年の初めには、「一億総特攻」の方針が立てられていたらしい。敗戦の責任を問われたくないエリート層が、国民すべてを地獄への道に引きずり込もうとしていた。恐ろしすぎる。

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