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2015年3月27日 (金)

80年代バブルと1940年体制

昭和と平成の間に「バブル」があった。当時、バブルの異常性に警鐘を鳴らした野口悠紀雄・早大ファイナンス総合研究所顧問の語る80年代バブルの原因。毎日新聞のサイト掲載3/26付のインタビュー記事から以下にメモする。

(バブルが起きた原因はどう考えますか)
戦時期に作られた統制的な金融体制、私はそれを「1940年体制」と言っていますが、それが不要になってきたにもかかわらず、生き延びようとしたために起こった――と思っています。
 

日本の復興と高度成長に非常に大きな役割を果たした日本興業銀行、日本長期信用銀行などいわゆる興長銀などが80年代になって不要になった。本来ならそこで40年体制が変わり、長期信用銀行はアメリカの投資銀行的なものに替わって直接金融の仕組みを担っていくべきだったのにできなかった。このため、手軽に利益を稼げる不動産投資にのめり込んだ。 

金融緩和や金融自由化のテンポの問題などがバブルの原因と言われていて、確かに重要だが、それだけではあれほど大きなバブルは起こらない。40年体制の問題があったからこそ、興長銀がバブル崩壊で一番大きな影響を被ったのです。日本興業銀行は合併で生き延びたが、他の2行は残ることができなかった。戦後の復興時期と高度成長期には、戦時的な経済体制・金融体制が非常にうまく機能していた。機能しなくなったのが80年代だった。 

(「経済大国」になったという日本人の意識も影響したのでは?)
それはあると思う。80年代の始めごろから日本の工業化がアメリカを追い越し始めた。鉄鋼、自動車、それから半導体の生産量などの実績で日本が追い越したという認識は日本人だけでなく、世界中が共通して持っていた。日本経済の実体的な成長が世界を制覇したという感覚が間違いなくあったと思う。

・・・今年は「戦後70年」ということがよく言われるが、現在の日本社会の在り方に直接的な影響を及ぼしているのはバブル(崩壊)であろうから、「バブル後25年」との位置づけによる検証及び課題の認識がより切実に求められるのではないか、と感じる。

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2015年3月26日 (木)

中小企業の進化が課題

本日付日経新聞市況欄コラム「大機小機」(中小企業にも経営革新を)からメモ。

中小企業といえば、東京都大田区や東大阪市の町工場が取り上げられることが多い。ものづくりは産業の基盤であり、その重要性は否定できない。しかし、そうした捉え方は必ずしも実態に即していない。

中小企業の大半は非製造業だ。「経済センサス・活動調査」によると、産業別の事業所・企業数比率が最も高いのは小売業の19%である。次いで宿泊・飲食業13%、建設業10%と続き、製造業は9%にとどまる。
日本経済の再生や地方創生にはむしろ、非製造業の底上げが重要といえる。非製造業の中小企業の多くは規模が小さく、売上高も減少傾向にある。
しかし、売り上げを伸ばしている企業もある。そうした企業は最新の情報技術(IT)を利用し、ニッチな市場で独自の製品やサービスを提供している。 

ITを活用して需要を掘り起こしたり、生産性の向上を図ったりすることが、中小企業においても重要な経営課題として浮上している。例えば中小の小売りが大手コンビニのようにビッグデータを活用できれば、売れ筋を把握できる。1店では難しくても、複数の店が協力すれば可能だ。
多くの企業はどう対応すればいいのかわからず、旧来のやり方を維持している。ここを重点的に支援すればいいのではなかろうか。

アベノミクスでは、経済の新陳代謝を促すことにより、2020年までに黒字の中小企業を70万社から140万社に増やすことがうたわれている。目標達成には、経営革新への支援を通じて既存企業を活性化することも必要なのではなかろうか。

・・・中小企業、非製造業の生産性向上は、もう30年も前から日本経済の課題として言われている。なのに、大して進展しているようには見えない。何でなの?謎だ。

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2015年3月25日 (水)

自社株買いは歓迎すべきか

ファナックの増配または自社株買い検討など、日本企業の株主還元重視という変化の兆しを株式相場は歓迎する動きだが、果たして無条件に評価できるものなのかどうか――昨日24日付日経新聞の投資情報面コラム「一目均衡」(自社株買いの功罪、北沢千秋・編集委員)からメモする。

上場企業の自社株買いが活発だ。背景には自己資本利益率(ROE)の向上を求める市場の圧力がある。ROEの分母を削る自社株買いは数値改善の即効策。(ROE向上を狙い)「年度末に駆け込みで自社株買いをする企業もある」(大和証券投資戦略部)という。

短期マネーは自社株買いをはやすが、長期投資家の目線は少し冷ややかだ。
まず、株価との見合いの問題がある。企業がバランスシートの左側の現金を使い、右側の純資産を買い戻すのが自社株買い。教科書的には、PBR(株価純資産倍率)が1倍を割っているような株安局面が好機だ。PBRが高いと、将来の利益期待(プレミアム分)を上乗せした値段で純資産を買い戻すことになり、企業価値を毀損しかねない。PBRが4倍超のファナックが自社株買いをするのは合理的とは思えない。 

株主が企業に自社株買いを望むのは、経営者不信の表れともいえる。どうせ手元に豊富な現金があっても、成長のために活用できないだろうと考えるからだ。もしも信頼できる経営者が次の成長のため、投資機会を虎視眈々と狙っているなら、長期投資家は安易に自社株買いを求めないはずだ。

・・・経営者を会社資産の「運用者」と見なすならば、自社株買いを選択する経営者、つまり有効な投資先を見い出せない「運用者」は、能力不足の誹りを免れないだろう。

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2015年3月24日 (火)

「長い中世」

時代区分の考え方が生まれた当初、ヨーロッパの「中世」は、「古代」と「近代」の中間の時代という位置づけだった。しかし今では「中世」も独自の時代、さらには後世まで影響力を残した時代として、捉えられているようだ。以下に、放送大学の新年度「ヨーロッパの歴史Ⅰ」講座テキストからメモする。(当該部分の執筆者である甚野尚志・早稲田大学教授は、朝日カルチャーセンターで「西洋中世史」の講座も担当している)

最近では、「中世」の時代区分に対してさまざまな異論がある。古代から中世への転換についていえば、通常、「中世」の始まりとされる西のローマ帝国の滅亡(476年)は政治的なエピソードに過ぎず、7世紀頃まで古代ローマ的な特徴をもつ社会が存続するという見解がある。また「古代」から「中世」への転換だけでなく「中世」から「近代」への転換も明確な年代で分けることのできないことが強調されている。 

つまり一般的に「近代(初期近代)」の始まりは、中世的なローマ・カトリック教会の権威を失墜させた宗教改革に求められることが多いが、宗教改革は、中世的な価値観を転換させた大変革ではあるものの、当時の社会の実態を観察すると16世紀に入っても中世的な世界はさまざまな分野で存続していた。知の世界の場合には、近代科学は17世紀に始まるが、経済の面では18世紀の産業革命まで中世的な手工業に基づく産業構造が続いていた。さらに人々の日常生活では、19世紀に入っても、いたるところで中世的な習俗が残存している。したがってある年代に「中世」が突然終わるとはいえず、「中世」は社会の局面によっては19世紀まで存続するものといえよう。 

このように中世的な社会は、時代区分を越えて「近代」でも存続するが、フランスの歴史家ジャック・ル=ゴフは『中世とは何か』のなかで、このような中世の存続を「長い中世」と呼んで説明している。彼によれば「中世」とは時代区分であるとともに、時代を超えた一つの社会のあり方を示す概念とされる。

・・・歴史を理解するためには、時代区分は有用な概念。しかしそれは、過去の出来事を整理するため、ある程度単純化された概念でもある。なので、ある時点を区切りとして世の中が古代から中世へ、中世から近代へと、がらっと変わる、とイメージするのは当然ながら現実的ではない。実際には諸々の事態が流動的に動いていく中から、徐々に次の時代に移行する方向性が現れてくるというものだろう。歴史の動きを現実的に考えるためには、近代社会になれば中世は過ぎ去ってしまう、のではなくて、近代社会のそこかしこに「中世」が多かれ少なかれ残っているという具合に、社会の変化を重層的に捉える必要があると思われる。

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2015年3月23日 (月)

イスラームの「聖戦」と死生観

今週の「週刊東洋経済」(3/28号)掲載、イスラーム学者の中田考・同志社大学客員教授のインタビュー記事からメモする。

(ジハードについて)
聖戦という訳は正確ではない。イスラームの文脈では宗教のために努力する、戦うという意味が正しい。
 

イスラームの意味は神に帰依、絶対服従することだ。ムスリムとは神に帰依している人間だ。しかし今のムスリムたちが神に絶対服従しているかというと、怪しい者がたくさんいる。
そういう場合、キリスト教には聖職者がいて誰が信者か決め、破門することもできる。

ところがイスラームはそうではない。そもそも信徒だと決める人がいない。教義を決める機関もない。イスラームは基本的に信徒一人ひとりが神に直接向き合い、他者の内心の信仰には干渉しない。しかし、今のシリアやイラクの政府はイスラームからの逸脱がいくら何でもひどすぎるだろう、もはや彼らはムスリムではない、と厳しく問い詰める人たちがいる。そうならば自分たちはイスラームの理想の実現のために異教徒に堕した背教者たちと戦っているのだからジハードだ、ということになる。 

(神の前の平等について)
イスラームの場合は法を定めることができるのは神だけであり、国家は神が定めた法の執行機関にすぎない。
法の下の平等より重要なのは神の前の平等だ。つまり、創造主と被造物の無限の隔たりに比べると人間の間の相違など無に等しい。金持ちも貧乏人も同じ神の奴隷であり、死ぬときは持っているものすべてを手放さねばならない。最終的には「最後の審判」で裁かれる。今生は苦しくとも来世が本当の生であって、フェアプレーで頑張っていれば、全知全能のアッラーが来世で公平に報いてくださる。そういう意味の平等だ。

・・・自分がキリスト教やイスラムを信じることはないだろうが、この世界では、一神教の論理を理解しておく必要はあるのだとつくづく思う。

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2015年3月21日 (土)

スンニ派VSシーア派

「週刊エコノミスト」3/24号の記事「スンニ派とシーア派はなぜ争うのか?」(塩尻和子・東京国際大学特命教授)からメモ。

宗教集団を統率する本山制度もメンバー制度も持たないイスラム教では、当初から正統と異端を区別する意識はなかった。 

忘れてはならないことは、スンニ派もシーア派も教義上はいくつかの相違があるものの、両派とも互いに正統的であると認め合っていることである。 

それでは、なぜ互いに正統であると認め合っている宗派同士が、凄惨な対立を続けているのか。確実なことは、抗争の要因が「宗教的な宗派対立」ではないということである。シリアの混乱は、スンニ派を中心とする反政府グループと(シーア派分派である)アラウィー派政権との対立であると見られているが、双方ともにスンニ派もシーア派もキリスト教徒までもが入り乱れていて一枚岩ではない。 

イラクでは、南部のシーア派政権と中部地域を支配しているスンニ派強硬派の「イスラム国」との間の覇権争いが激化しているが、正確に言えば、これも「宗派対立」ではない。これらの紛争は、意図的に仕組まれた貧富の格差と政治混乱から生じた熾烈な経済的利権闘争である。この闘争にスンニ派とシーア派の対立というシナリオをまとわせることは、宗教的な大義名分によって本質的な要因を覆い隠す手段に過ぎない。

・・・今のシリア、イラクについて言えば、基本的に体制派VS反体制派の争いが、シーア派VSスンニ派の対立として語られる場合もある、というところか。

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2015年3月19日 (木)

投資のない人生はない

30年近くマーケットと向き合ってきた広木隆・マネックス証券チーフ・ストラテジストは言う。相場は生き物であり、どれだけ突き詰めても極めることができない、と。日経新聞電子版本日付記事「わたしの投資論」からメモ。

異常な相場は必ず修正されて、長くは続かない。振り子の針が急激に振れたときには、揺り戻しもものすごい速さでやってきます。振り子が振り切ったところで「もうダメだ」と逃げ出していたら、一番損をした状態で手じまいすることになります。 

もちろん、この世界では法則がないことが法則といってもいいくらいですから、先のことは誰にも分かりません。異常な相場は元に戻るという鉄則ですら、絶対ではないんです。 

希代の名投資家であるジョン・テンプルトンは「本当の強気相場は悲観の中に生まれ、懐疑の中に育ち、楽観とともに成熟し、陶酔の中に消えていく」という有名な言葉を残しています。実体経済が底を打ったときも、ピークを越えたときも、市場はしばらくはそれに気づかず行きすぎてしまいます。先のことは分からないといいましたが、それでもほんの少し先のことなら見当がつくはずです。投資で必要なのは、過去や現在だけでなく常に一歩先を見て、「行きすぎ」にのみ込まれないようにすることです。 

僕にとって投資とは人生そのものです。
死ぬまでマーケットを分析して、情報を発信していくだろうなと思っています。というのも、相場はどれだけ突き詰めても極めることができないからです。
相場は生き物。だからこそ、投資の世界は一生をかけて向き合う価値があると思っています。まさに“No Investment, No Life. ”、投資のない人生なんて、です。

・・・投資は難しい。だから「つらく苦しい」(小幡績教授)というのも、だからこそ「向き合う価値がある」というのも、共に投資の世界の真実だと思える。

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2015年3月14日 (土)

「ニューアカ」のピケティ批判

80年代「ニューアカ」の巨匠がピケティを批判する――雑誌「新潮」4月号掲載の「現代思想の使命」(浅田彰×中沢新一×東浩紀)からメモ。

浅田:そもそも、原書が出たとき読んで呆れたけれど、ピケティの本の『21世紀の資本』というタイトルは詐欺ですよ。マルクスの『資本(論)』は、正しいかどうかはともかく、資本主義のメカニズムを原理論的に分析し、それを超克する方向を示す本でしょう。他方、ピケティは、手広く統計を集め、資本主義のもとで戦時中を除けば格差が増大する傾向にあるということを現象論的に示しただけで、その裏側にどういうメカニズムがあるのかという分析もなければ、資本主義をいかに乗り越えるかというヴィジョンもなくて、富裕税によって資本主義の偏りを補正するというだけ。

中沢:僕もピケティの本は翻訳される前に読みましたが、まあ飽きました。同じことの繰り返しが続いて、最初と最後の結論が同じ。これは資本主義の本質じゃないな、と感じました。
「19世紀の資本」であるマルクスの本と「21世紀の資本」であるピケティの本の一番大きい違いはどこかというと、マルクスには「唯物史観」というものがあることです。マルクスは我々が生きている資本主義の世界は歴史的に形成された一過性のものであるという認識にたって、それはどうやって形成され、どういう必然性をもって変わっていくかというのを描いた。それが「唯物史観」です。だけどピケティの本はマルクスの「唯物史観」にあたるものがない。
いま、僕らが欠いているのは、グローバル資本がどのように形成され、世界を支配し、解体していくかというのを考える知性です。「自然史過程」としてのグローバル資本という問題をとらえる努力を怠っていて、ピケティのように資本主義の内部情報の処理だけでやっていく、近代主義的とも言える知性形態がもてはやされる。

浅田:マルクスには自然史過程にまで遡る「唯物史観」があったのだけれど、マルクス主義を中心とする旧左翼はそれをアクチュアルな階級闘争の問題に還元し、社会民主主義はそれをさらに再分配の問題に矮小化してしまった。そして、68年から89/91年を経て、再分配より承認の方が大事だということで多文化主義が支配的になり、そこで唯物論から観念論への重心移動が生じた。コミュニケーションにおいて他者を承認すること、他者と対話し共存することはもちろん結構なことだけれども、それを言うだけではうまくいかないという現在の問題は、唯物論的に言えば当然のことなんですね。

:いずれにせよ浅田さんも中沢さんも、ピケティとは違い、いまの資本主義の中では再分配で問題が解決するとは思っていない。なんらかのオルタナティブ、あるいは資本主義の外部を考えることが必要で、それが思想の使命であるだろうという点は一致していると思います。
しかし問題はその「外」が何かということです。その「外」が具体的に示されなければ、思想も運動もただの掛け声で終わってしまう。

・・・肝心なのは、資本主義の「外」を原理的に考えて具体的に示すこと。しかしそれも今や「不可能の可能性」を考えることに近いのかも知れないが。

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2015年3月13日 (金)

内藤九段、引退

まず本日付日経新聞記事を引用する。

「将棋の現役最年長の内藤国雄九段(75)は12日、大阪市の関西将棋会館で行われた竜王戦ランキング戦で敗れ、50年を超える現役生活にピリオドを打った。3月31日付で引退となる。最後の対局となったこの日の敗戦で、公式戦通算千敗を記録。千敗したのは加藤一二三・九段(1136敗)、有吉道夫九段(1002敗)に続き、史上3人目」

「文藝春秋」4月号にも内藤九段のエッセイがあるので以下にメモする。

思い返してみると、昭和42年に27歳でAクラス、つまり棋士のベスト10になったときから、ひたすらに勝ちを追求する勝負師には向いてないなと思いながら盤に向き合ってきました。NHK杯に向かうために新幹線に乗っていたのですが、東京に〝勝ち〟に行くことが楽しいとは思えなかった。将棋をすることはこんなに楽しいのに勝負になるとなぜ、こんなにつまらなくなるのだろう。将棋は面白いゲームだから、勝敗が無かったらいいのに・・・・・・、そう思っていました。

・・・昔、内藤先生が「おゆき」を歌っていた頃、「将棋と歌とどっちが好きですか」と問われて、「勝ち負けが無ければ将棋の方が好きですね」と答えていたのが印象的だった。先生、だから名人になれないんですよ・・・でもそこが先生の良いところ。才能も華もあるのに頂点には立たない。それも魅力ですね。

エッセイには、「私にとって将棋指しほど楽な商売は他にはありませんでした」とも。そりゃ先生ほど才能があればそうでしょう。(笑)

また、平成12年に一千勝を達成した時に、ファンから「今度は一千敗するまで頑張ってください」という手紙をもらったというけど、最後の対局で一千敗達成というのも、変に義理堅い結果ですね。(苦笑)

しかしとにかく内藤先生、お疲れ様でございました。あと加藤九段が引退すると、昔の将棋ファンとしては、馴染みのある棋士はいなくなるのだなぁ・・・。

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2015年3月12日 (木)

信長の「野望」、その真実は

雑誌「歴史街道」4月号の特集は織田信長。最新研究を基に信長の真実を探る論考が並ぶ。便利なのは、渡邊大門氏による信長研究の論点整理。「天下」「将軍」「朝廷」「全国統一」を巡る諸説の中から、桐野作人氏と金子拓氏の見解を以下にメモする。

①「天下」の概念(従来説:日本全国を意味する)
桐野:「天下」とは抽象的な「世の中」とともに、具体的な「畿内」という多義性を含む概念。その後、信長の「天下」の概念は拡大していった。
金子:戦国時代では「天下」とは「畿内」を示すのが共通認識。

②将軍との関係(従来説:信長は傀儡として足利義昭を擁立した)
桐野:信長は将軍・足利義昭とギリギリまで協調路線を保っていた。
金子:信長は室町幕府や将軍の権威に頼り、幕府を緩やかに引き継ごうとした。そのキーワードが「天下静謐」である。「天下静謐」とは、室町将軍が維持すべき「天下=畿内」の平和で安定した状態を意味する。

③朝廷との関係(従来説:朝廷を蔑ろにした)
桐野:信長は朝廷を保護し、一貫して協調した。
金子:朝廷の自律性を尊重し、「天下静謐」のため朝廷政治の安定化を図る責任感を明確にしている。

④全国統一(従来説:最初から「全国統一」を目指していた)
桐野:信長が全国へと視野を拡げることができたのは、地理的な要因と、盤石な経済的基盤と圧倒的な軍事力によるものと考えられる。
金子:「天下静謐」を維持するため他領を攻撃して勝利することで、結果的に領国拡大が実現した。

・・・信長は当初は「天下静謐」、つまり畿内の平定を目指して、朝廷や足利将軍とも協調して秩序回復を進めた。しかし結果的に義昭を追放。さらに畿内の平定を達成した時点で、そこから先の全国統一に向けた政権構想が信長の頭の中にあったのかどうか。しかしそれも、本能寺の変により永遠の謎となってしまった感がある。

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2015年3月11日 (水)

ムーミンを愛するニッポン

フィンランドのムーミンキャラクターズ社、その経営トップであるクラクストロムさんの語るムーミン・ビジネスの変遷。本日付の「ダイヤモンド・オンライン」記事からメモ。

「ムーミンにとって日本は本当に大きな市場です。去年は日本の売り上げが世界の50%近くに上りました。北欧各国と並ぶ最大市場です」

「実はわれわれは2008年に、会社の戦略を大きく変えているのです。90年代から08年の約20年間はテレビアニメの著作権に頼りきっていたのですが、そうしたビジネスモデルを一切やめることにしたのです。われわれはアニメの乱発ではなく、ムーミンのアート性をコアにした戦略に転じることにしました」

「トーベ・ヤンソンは作家でもあり、画家でもあり、ムーミンはアート性を帯びた世界の数少ないキャラの一つです。これはサンリオやディズニーにはない強みだと気付いたのです」

「トーベ・ヤンソンのアートを前面に出すと、展示会や博物館のイベントで、多くのジャーナリストが来てくれます。そしてニュースを出してくれます。何か、新しいアニメを作らなくても、ムーミンのアート性だけでいろいろな動きが出るのです。全てはトーベ・ヤンソンのコア・バリューから生まれているのです」

「実際、これは、予想以上の成果を挙げました。2008年ごろまでは日本を中心に、売り上げの微減が続いていました。日本の占める割合も30%以下になったこともあります。ですが結果的に、昨年までの10年間で、売上高が6倍(5億ユーロ)に伸びるまでになったのです。これは本当にダイナミックな変革でした」

・・・トーベ・ヤンソン作品のアート性というコア・バリューへの「原点回帰」によって、飛躍を果たした「ムーミン」。日本のムーミンファンも、当初のアニメから入った世代に、アートとしてのムーミンを支持する層も加わって、厚みを増しているようだ。来年には日本にムーミンのテーマパークもできるらしいが、なぜ日本人はこれほどまでにムーミンを愛するのか。特にこれだという答えを持ち合わせてはいないけれど、ムーミン谷の住人たちの自由で平和な暮らしは、日本人の憧れに近い共感の対象となっているような気がする。日本人はムーミン谷に一つの理想郷を見ているのかもしれない。

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2015年3月 7日 (土)

レインボーの記憶

レインボーって、ボックスセットを出すバンドじゃないよな。というのが、往年のハードロックバンドのCD5枚+DVD1枚合計6枚組セット発売を知った時のとりあえずの感想。

しかし、あの「モンスターズ・オブ・ロック」の映像が初の公式DVD化となると、とりあえず買っておくか、みたいな感じで入手したのだった。

1980年8月16日、レインボーはイギリス・ドニントンで開かれた「モンスターズ・オブ・ロック」フェスティバルに出演。これを最後にコージー・パウエルがバンドを去るという伝説的なステージとなった。当時発売されたフェスのライブLP(写真)には、レインボーの「スターゲイザー」「オール・ナイト・ロング」が収められていたが、なぜかこのLPはCD化されることがなくて、今回セットに入った「スターゲイザー」を30年振りくらいに聴くことになった。Photo_3
1976年12月の初来日公演に行った後、FM番組でレインボーのライブを聴いた。その時、記憶に残ったのがリッチー・ブラックモアの弾く「パープル・ヘイズ」の荒々しいリフ。この音源も今回公式CD化となり、自分がこれを聴くのはおよそ40年振りになる。

1984年3月の武道館公演にも行った。オーケストラ楽団の演奏をバックにした「治療不可」など数曲が、今回のCDにも入っている。その時は何となく観ることにしたライブだったが、まさかそれがレインボーの終わりになるとは思いもよらなかった。

アマゾンのレビューにもあるように、このボックスセット『ア・ライト・イン・ザ・ブラック』は「コレクター向け」「マニア向け」の商品だろうと思う。正直、自分にとってレインボーは、ラフミックスだのアウトテイクだのリハーサルだのレア音源を聴きたいというバンドではない。とりあえずライブ音源だけでまとめて欲しかったな。もちろん価格も下げてもらって。その方が、より多くの人が手を出しやすいものになっただろうと。

しかし40年近く前の音源もあり、レインボーも歴史的バンドになってしまったのだと改めて感じる。で、自分にもその歴史の記憶があるってことで、それも何だか妙な気分だな。

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2015年3月 6日 (金)

投資はつらいよ

「投資は難しいものです。やるなら本気でやらないと」と語るのは小幡績・慶応大ビジネススクール准教授。日経新聞電子版3/5付記事「わたしの投資論」からメモする。

経済学では「合理的な人間」というモデルをよく使いますが、これでは現実の投資行動や市場を正しく分析できません。というのも、このモデルは理論体系を簡素にして分析しやすくするためのもので、人間の行動がモデルからずれていると「非合理的」だというけれど、現実の人間こそが真実であって、現実をとらえていない合理的モデルの方が本当は非合理的なんです。 

市場は合理的だというのも間違いです。もし本当に教科書がいう合理性がすべて成り立っているなら、すべての銘柄が適正な価格のはずだから、割高も割安もありません。でもそんなことはありえない。実際には誰もがいつ何を買うべきか悩んでいます。 

投資にはどう考えてもギャンブルの側面があると思います。その魅力は可能性が無限にあるように思えてしまうこと。でも、たとえ完璧にうまくいっても「もっともうかったはずだ」と誰もが錯覚します。 

ある程度資産を保有しているまじめな個人にとっては、投資って「必要悪」なんじゃないかなと思います。
資産は運用していかないと増えていきません。だから投資は避けて通れない。
でも、いったん興味を持ってしまったら人生はつらくなりますよ。やってみると結構大変で、エネルギーをかけないと痛い目を見る。必勝法もない。損をすれば苦しいし、もうかってもさらに欲が出て100%の満足感は得られない。

でも、どうせ苦しいならもうかった方がいい。結局、やるしかないんです。

・・・投資という行為は、常に自分の欲と道連れ。そして自分の欲と向き合うということは、概ね自分の欲に自分が引きずられる、つまり自分の愚かさをつくづく感じるということになるので、経験としてはあんまり愉快じゃない場合が多いかなと。

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2015年3月 5日 (木)

戦艦武蔵、発見

本日付日経新聞コラム「春秋」からメモする。

捷一号作戦――。昭和19年7月、日本海軍はフィリピンに迫る米軍を迎え撃つ覚悟を決め、その戦いをこう名づけた。戦勝を意味する「捷」の文字に悲壮な決意をこめての立案である。しかし3ヵ月後、レイテ島沖での実戦は戦艦3隻、空母4隻を失う大敗に終わった。

「大和」と並ぶ巨艦「武蔵」が最期を迎えたのはこのときである。その悲劇の戦艦が比中部シブヤン海の水深1千メートル地点で見つかったそうだ。
米マイクロソフトの共同創業者で、海洋探査にかかわる資産家の発見だという。

あの戦争ではおびただしい数の艦艇や徴用船が沈み、いまもそのままだ。太平洋海域には過ちと無念の記憶が満ちている。

捷号作戦には本土周辺での戦いを想定した二号、三号、四号も用意されていた。さらにはずばり本土決戦を指す「決号作戦」も大本営は考えていたという。武蔵発見の報に接して胸をよぎる、歴史の痛苦である。

・・・レイテ沖海戦で戦艦では武蔵のほかに、山城、扶桑が撃沈された。大和、武蔵を擁する栗田艦隊とは別行動だった2隻は、スリガオ海峡の夜戦で米戦艦6隻から集中砲火を浴びて、生存者は皆無に近い悲惨な最期を遂げた。空母では、真珠湾以来の歴戦の強者である瑞鶴が小型空母3隻を従えて、小沢艦隊の中核を形成。栗田艦隊のレイテ湾突入を側面支援するべく、敵の攻撃を引きつけた空母4隻はエンガノ岬沖に消えた。小沢艦隊所属の航空戦艦、伊勢と日向の奮戦も、戦史好きには忘れられない。

レイテ沖海戦では、神風特別攻撃隊も初めて出撃した。昭和20年の初めには、「一億総特攻」の方針が立てられていたらしい。敗戦の責任を問われたくないエリート層が、国民すべてを地獄への道に引きずり込もうとしていた。恐ろしすぎる。

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2015年3月 1日 (日)

鯖街道熊川宿に行く

Photo_7

ふと思い立って、鯖街道熊川宿を訪ねた。

2月27日金曜日の夜に京都に入り、翌28日土曜日の訪問。京都からJR湖西線近江今津駅まで約50分。そこからバスに約30分乗って「若狭熊川」で下車した。が、ひとつ手前の「橘町」で降りて、そこから戻る格好で歩いて「道の駅」からスタートするのがベターかも。

しかし殆ど人がいない。まだ冬場だから?

やはり木曾の妻籠や奈良井に比べたら、全体的に物足りない感じではありますが。

戦国時代好きに面白い史実は、細川藤孝の妻が熊川出身とのこと。
「室町時代末期から江戸時代初期の武将であり優れた歌人として有名な幽斎(玄旨)細川藤孝(1534~1610)の妻は、実は熊川城主沼田光兼の娘麝香(じゃこう、受洗名マリア)でありました。幽斎も光兼も足利将軍直属の家臣でありましたから、二人は浅からぬ縁に結ばれていたようです」(当地の資料館で購入したパンフレットより)

帰りの新幹線の車中では、ビールを飲みながら焼き鯖寿司をつまむ。充分贅沢だよな、という気分になりました。

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