「フランス現代思想」の現在
「ポスト構造主義」以後の思想は、「言語論からメディア論へ」という方向で位置づけることができる、という。『フランス現代思想史』(岡本祐一朗・著、中公新書)の第6章「ポスト構造主義以後の思想」からメモする。
ポスト構造主義以後の「メディア論的転回」として、まず最初に取り上げるべきはレジス・ドブレの「メディオロジー」の構想であろう。
ドブレは、今まで言語学・記号論が無視してきた「伝達作用」、「媒介作用」に着目した。というのも、「媒介作用こそがメッセージの性質を決定づけ、関係が存在よりも優位に立つ」からである。
現代のインターネットなどの情報技術の変化などによって「映像圏」が成立し、たしかに従来の印刷術にもとづく「文字圏」とは違った状況が引き起こされている。
「メディオロジー」の考えをきわめて単純化して言えば、人間の「信」(思考では「信念」、宗教では「信仰」、集団は「信頼」など)が、メディア(媒介装置)によって決定される、ということにある。
ドブレとともに、「メディオロジー」を提唱している、ダニエル・ブーニューによれば、記号論的-言語論的転回の後に、語用論的転回が続き、さらに現在はメディオロジー的転回が起こっている。
もし、〈フランス現代思想〉を、「記号論的-言語論的転回」としてだけ捉えるとすれば、すでに終わっていると言わなくてはならない。しかし〈フランス現代思想〉が、ブーニューによって示された三段階全体を含むとすれば、現在でも継続中なのであり、まさに新たな段階を迎えているのだ。
・・・この本の冒頭「プロローグ」の中で、著者は「西洋近代を自己批判的に解明する」態度を、フランス現代思想の「精神」と呼んでいた。フーコー、ドゥルーズ、デリダらは、この「精神」を共有していたということだが、「ポスト構造主義」以後の思想家たちは、この「精神」を継承しているのだろうか。あるいは、「近代批判の精神」は、もはや不要になりつつあるのだろうか。
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