ハムレットという「時代精神」
今月のNHK・Eテレ「100分de名著」で取り上げているのは、シェイクスピアの『ハムレット』。河合祥一郎・東京大学大学院教授は、『ハムレット』は哲学的にとても深い、と言う。ハムレットの行動、それは時代の「精神」を体現している。以下にテレビテキストからメモする。
『ハムレット』が書かれた1600年頃はルネサンスの時代であり、ちょうど中世と近代のはざまの時代です。
中世における自我は、自分ひとりで存在することはできず、常に神とともに受動的に世界に在るというものでした。それに対して、ルネ・デカルトの「我思う故に我在り」になると、神よりも理性を信じる時代となり、自分ひとりで考え、それによって主体が自立的・能動的に世界に存在することができる。それが近代的自我のはじまりです。デカルトの『方法序説』(1637年)はちょうどシェイクスピアの一世代あとなのです。
逆に言えば、シェイクスピアの『ハムレット』は、デカルトに先んじて、近代的自我の原型のような主体を提示しているとも言えます。ただ、神とともにある中世から近代へと移り変わってゆくなかで、作者であるシェイクスピア自身も揺れ動いていて、熱情のなかで生きるという中世的な生き方と、理性で考えて生きるという近代的な生き方のはざまで揺れているのです。結論から言ってしまうと、ハムレットは近代的自我に引き寄せられていくけれども、けっきょく近代的自我では解決せず、最後はやはり「神の摂理」に委ねる――俺がひとりで悩んでいてもしょうがないのだ、という大きな悟りに至ります。
・・・シェイクスピアと言えば思い出される福田恒存の、「人間は自由を求めてはいない、必然性を欲しているのだ」という考え方に通じるものがある。ような気がする。
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