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2014年12月23日 (火)

ドイツ思想の「低迷」

先日、朝日カルチャーセンター講座「20世紀ドイツの哲学と社会思想」(山脇直司講師、全5回)の受講を終了した。取り上げられたのは新カント派、ローザ・ルクセンブルグ、ウェーバー、ハイデガー、カール・シュミット、ベンヤミン、アーレント、フランクフルト学派など。こうして見ると、20世紀前半が活況、後半はフランクフルト学派の一極のみで引っ張るみたいな印象。20世紀後半のドイツ思想の「低迷」について、『現代ドイツ思想講義』(仲正昌樹・著、作品社、2012年)の「後書きに代えて」から以下にメモする。

多くのスターを輩出した20世紀前半のドイツの思想界と比べると、20世紀後半以降のドイツ語圏はぱっとしない。

ぱっとしなくなった理由ははっきりしている。第一に、ナチス期に、ユダヤ系を中心に多くの知識人が国外亡命もしくは移住し、大戦後も(西)ドイツやオーストリアには帰国せず、アメリカなど英語圏で活動を続けたということがある。

第二に、ナチス時代に対する反省が強調されすぎたあまり、ナチスを連想させる思想一般、ロマン主義、保守主義、非合理主義、耽美主義、ナショナリスムなどに分類されそうな思想――ニーチェ、ハイデガー、シュミット、ユンガーなどはこの範疇に含まれる――が危険視され、〝真っ当な思想家〟は、合理主義・啓蒙主義・民主主義的なスタンスを示さねばならない、という風潮が強まった、ということがある。

第三に、社会主義国である東ドイツ(ドイツ民主共和国)と西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の対決状態が長年にわたって続いたため、東側で思想の自由な展開が阻害されたのは当然のこととして、西側の左派も、ソ連型マルクス主義との違いを示さねばならない、という意味でのプレッシャーを受けるようになった。

様々な制約を課されたドイツ現代思想は、フランスのポスト構造主義のように、理性的主体の限界を見つめ、主体化される〝以前〟の記号や言説の戯れの連鎖を探求する方向を取ることはできず、かといって、英米系の分析哲学や正義論のように、分析し、語る「主体」としての〝私〟を括弧に入れたまま厳密な論理的体系を構築することもできないまま、悶々と〝自らの過去との闘い〟を続けてきた。

・・・ドイツ固有の事情はあるとしても、傍から見れば、ナチス・アレルギーから忌避されたニーチェやハイデガーなど現代思想的に「おいしい」ところを、フランス・ポストモダンに持っていかれた感じがする。「真っ当な」思想というのも悪いわけじゃないけど、面白味や魅力には欠けるだろうし、「過去との闘い」に拘泥したままだと見失うものも多いような気がするし、今後のドイツ思想に生産的な展開が望めるかというと難しいかも。

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