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2014年12月 6日 (土)

「新しい世界史」を目指して

歴史学の新たな潮流を背景に、世界史を学び直す意義は大きくなっていると感じる。本日付日経新聞文化面記事(「脱・西洋の世界史」記そう)からメモ。

日本の歴史研究者が「新しい世界史」を模索している。西洋中心の価値観や国家の枠組みを絶対視する見方から脱却する必要性はすでに指摘されており、いかに叙述するかが問われている。世界全体を視野に入れ、様々な人間集団が交流した軌跡を描くことで、グローバル化した現代世界に対応した教養としての世界史を目指す。 

明治以降の日本における世界史の研究・教育は、19世紀にドイツやフランスで生まれた近代歴史学の輸入に始まる。国民国家の枠組みに従って時系列に叙述するスタイルは、歴史を相互に独立した日本史(国史)、西洋史、東洋史の3本立てで捉える枠組みを作り上げた。 

1970~80年代になると、世界史を各国史の集積と捉える見方は揺らぎ始める。米国の社会学者ウォーラーステインの「近代世界システム」論など、国家より広い範囲で歴史を捉える「グローバル・ヒストリー」研究の動きが活発になった。しかし「近代世界システム」論も西洋中心の理論であることに変わりはない。近年の新しい世界史は西洋中心主義そのものに再考を迫っている。 

グローバル化の時代には西洋だけでなく、日本、アジア、イスラームなどあらゆる中心史観を克服した歴史を目指すべきだとの主張もある。

・・・近代国民国家の自己正当化の物語として始まった歴史学も、グローバル化の中で変容していくというのは分かる。さらに西洋中心主義の物語も書き換えを迫られているというのも、分かるといえば分かる。しかしあらゆる中心史観を脱するというのは、あんまり具体的なイメージがわかない。よく言われる、ヒストリー(歴史)はストーリー(物語)であるならば、中心の無いところで物語は成立しないだろうな、という感じがする。

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