コント55号「野球拳」の頃
日経新聞「私の履歴書」。といえば著名な経営者の書くものという感じだが、今月はなぜか(笑)萩本欽一氏。言わずと知れたコメディアン「欽ちゃん」である。本日付の第19回では、「野球拳」のことが語られていた。あったなあそんなの、と思い出しつつメモ。
69年4月、日本テレビで「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」がスタートした。日曜夜8時。裏番組とは民放各局があの手この手で挑んでは跳ね返されてきた厚い壁、NHKの大河ドラマだ。
いろんなコーナーで構成する番組の呼び物は野球拳。でも子どもを持つ親御さんや学校の先生たちに「低俗番組」とさんざんたたかれた。それもそのはず。僕と(坂上)二郎さんが若い女優さんや女性のタレントさんとじゃんけんをして、負けた方が着ている物を1枚ずつ脱いでいく。
野球拳は松山市に伝わる伝統芸。それをお色気たっぷりのショーに仕立てた。じゃんけんは主に二郎さんがやったけど、強かったなあ。
7月6日に視聴率29.3%を記録。大河ドラマ「天と地と」をわずかに上回ったものの、世論にぶっとばされる形で、番組は1年で打ち切られた。
・・・「や~きゅうす~るなら~こういうぐあいにしやさんせ、アウト!セーフ!ヨヨイノヨイ!」――確かに当時、「低俗番組」として槍玉に挙げられてたな。公開番組で、脱いだ物(服のほかアクセサリーや靴なども)は会場で競りにかけられた。代金は寄付されていたと思う。ステージにはカーテン付きの簡単な更衣室が置かれて、相手がその中に入っている時に、二郎さんが「想像しましょう」と言うのがお約束。
しかし昔は大河ドラマの存在感は大きかったんだな。今では考えられないが。何にせよ、45年も前、大昔の番組の記憶があるんだから、自分も長生きしてるよな。
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