無意味な解散、無駄な選挙
日経新聞本日付電子版記事「政権選択なき衆院選、ゲームを壊した与野党の罪」から以下にメモする。
衆院選は何のためにあるのか。それは有権者が政権を選ぶためだ。定数1の小選挙区主体の選挙は、二大勢力による政権争いを促す。有権者が選んだ多数派から首相が指名され、内閣を組織する。良くも悪くも、これが統治能力をつくり出す今のゲームのルールだ。なのに、大義うんぬん以前に、自公連立以外の選択肢が示されない解散。その罪は与野党双方にある。
最大野党(の民主党)が過半数の候補者すら立てず、野党陣営をまとめて政権交代の受け皿を用意する動きも鈍い。これでは社会党が万年最大野党に安住し、自民党政権以外の選択肢が事実上、なかった1955年体制と変わらない。このままでの衆院選は首相の安倍晋三と自公連立の信任投票にならざるを得ない。
安倍は18日の会見で、増税方針の変更という「国民生活に重い重い決断をする以上、速やかに信を問うべきだと決心した」と力説した。ただ、時の内閣が経済状況を見て増税延期法案を国会に出すことまでは現行法の想定内だ。自公は衆参両院で多数を保持し、成立する公算も大きい。なのにいきなり解散するから「大義のない解散」と野党に批判の口実を与えている。
越年予算を辞さない年末の慌ただしい衆院選も、解散後の経済対策の強行も「解散権は首相の専権事項」でいつでも行使でき、すべてに優先するジョーカーだ、という永田町の俗説のなせる業だ。
ただ、「勝てば官軍」の思惑だけがむき出しの解散は、統治権力を創出する起点となる政権選択選挙のゲームを興ざめにしかねない。よりフェアで透明なルールを整備し、ゲームを面白くしなければ、有権者の投票意欲をかき立てるのは難しい。
・・・現状の「劣化した55年体制」(歴史学者の與那覇潤)における「自民党1強時代」の中で行われる衆院選は、有権者の目に意義のあるものとは見えない。
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