「向こう側」の哲学
2、3年前に西洋哲学史をおさらいした時、とりあえず、形而上学とは「あの世」に「この世」を動かす原理があるという思考なのだ、と了解した。
なので、『ヨーロッパ思想を読み解く』(古田博司・著、ちくま新書)の「向こう側の哲学」という言葉に反応するのは、我ながら自然だなと思う。以下にメモする。
アリストテレスはとても科学的なんだ。アリストテレスは、目に見えないものの原因を必死に考えた。我々の目に見えたり五感に感じたりする世界は、この世のこちら側なんだ。それに対して、こちらからは感覚できない、見えない向こう側の世界というものがある。
普通の日本人にとっては、向こう側の世界とは異界、すなわちあの世ということになるね。でも、西洋の伝統的な思考では、この世に属する「向こう側」というものがあると考えるんだ。
その向こう側へと超え出る思考こそが、アリストテレスの思考であり、西洋の近代科学を生んだ思考なんだ。(プロローグ)
ヨーロッパでは、向こう側は神域と重ねられた。つまり向こう側は神さまのいるところと地続きだったのだ。だから、神の摂理を知ろうとする動機から、結果として諸学が発達した。(第五章)
西洋では向こう側のほうが上位者なんだ。プラトンは向こう側をイデアといって、こちら側にあるものは全部その不完全な似姿だと言ったんだ。西洋にはそういう伝統がある。だから、ヒュームの言うように向こう側に至らないということになれば、それは真理に到達できないということを意味したんだ。
これを英人ヒュームの挑戦だと、ドイツ人たちは受け取った。(カント以降の)ドイツ人の哲学者はみなこの考えと戦った。(第一章)
・・・万学の祖であるアリストテレスに発する、この世の向こう側を探究する姿勢を、哲学と科学は共有している。キリスト教発展後の西洋哲学は、この世の向こう側を探究しつつ「あの世」に片足を突っ込んでいるようなものだが。
しかし驚くのは、西洋哲学の簡潔明快な見取り図を描いてみせた古田先生の専門が、主に東アジアの政治思想であること。「非西洋の哲学や思想を見てきた私には、西洋哲学の特異性がはっきり見えてくる部分もある」にしても、やっぱり驚きだ。
ちょっと興味を持ってネット検索すると、古田先生の講義要項が出てきて、「日本における西洋近代化はほぼ完遂された。東洋思想はもはや終ったことであり、すでに学ぶに値しないものであることを明確にする」と、笑っちゃうくらいドはっきり宣言してる。
東洋思想を不要とし、西洋哲学も超越した古田先生の今後のお仕事が気になります。
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