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2014年8月31日 (日)

「向こう側」の哲学

2、3年前に西洋哲学史をおさらいした時、とりあえず、形而上学とは「あの世」に「この世」を動かす原理があるという思考なのだ、と了解した。

なので、『ヨーロッパ思想を読み解く』(古田博司・著、ちくま新書)の「向こう側の哲学」という言葉に反応するのは、我ながら自然だなと思う。以下にメモする。 

アリストテレスはとても科学的なんだ。アリストテレスは、目に見えないものの原因を必死に考えた。我々の目に見えたり五感に感じたりする世界は、この世のこちら側なんだ。それに対して、こちらからは感覚できない、見えない向こう側の世界というものがある。
普通の日本人にとっては、向こう側の世界とは異界、すなわちあの世ということになるね。でも、西洋の伝統的な思考では、この世に属する「向こう側」というものがあると考えるんだ。
その向こう側へと超え出る思考こそが、アリストテレスの思考であり、西洋の近代科学を生んだ思考なんだ。(プロローグ)
 

ヨーロッパでは、向こう側は神域と重ねられた。つまり向こう側は神さまのいるところと地続きだったのだ。だから、神の摂理を知ろうとする動機から、結果として諸学が発達した。(第五章) 

西洋では向こう側のほうが上位者なんだ。プラトンは向こう側をイデアといって、こちら側にあるものは全部その不完全な似姿だと言ったんだ。西洋にはそういう伝統がある。だから、ヒュームの言うように向こう側に至らないということになれば、それは真理に到達できないということを意味したんだ。
これを英人ヒュームの挑戦だと、ドイツ人たちは受け取った。(カント以降の)ドイツ人の哲学者はみなこの考えと戦った。(第一章)

・・・万学の祖であるアリストテレスに発する、この世の向こう側を探究する姿勢を、哲学と科学は共有している。キリスト教発展後の西洋哲学は、この世の向こう側を探究しつつ「あの世」に片足を突っ込んでいるようなものだが。

しかし驚くのは、西洋哲学の簡潔明快な見取り図を描いてみせた古田先生の専門が、主に東アジアの政治思想であること。「非西洋の哲学や思想を見てきた私には、西洋哲学の特異性がはっきり見えてくる部分もある」にしても、やっぱり驚きだ。

ちょっと興味を持ってネット検索すると、古田先生の講義要項が出てきて、「日本における西洋近代化はほぼ完遂された。東洋思想はもはや終ったことであり、すでに学ぶに値しないものであることを明確にする」と、笑っちゃうくらいドはっきり宣言してる。

東洋思想を不要とし、西洋哲学も超越した古田先生の今後のお仕事が気になります。

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2014年8月30日 (土)

トレルチ!

先日、丸の内の丸善で、岩波文庫の重版本が並べられていた中に『ルネサンスと宗教改革』を見つけた時は、「へぇ~」って感じがした。品切れのまま放置される本かも、と何となく思っていたので。とにかく13年ぶりの重版出来なのだった。

この本を書いたトレルチという思想家を自分が知ったのは、ごく最近。昨年正月の朝日カルチャーセンター、佐藤優の話の中でその名を初めて聞いた時、トレルチってコマネチ!みたいだなと思った。(くだらねー)・・・で、その佐藤優の新著『「知」の読書術』(集英社インターナショナル)の中にも、トレルチのことが取り上げられているのでメモ。

トレルチは、ルネサンスも宗教改革も、近代の決定的な転機だとは捉えていないのです。

ルネサンスには、たしかに中世の教会倫理に疑問を突きつけ、自由な人間性を称揚するという側面がありました。ただ、それは貴族階級を中心としたごく一部の出来事であり、トレルチは、ルネサンスと比べると宗教改革の意義を積極的に評価しています。「宗教改革は一個の強力な宗教的、道徳的活動として国民の生活の全体に革新をおよぼしたという点で、およそルネサンスにはみることの出来ない独自の積極的な諸力をもっている」と述べていることからも、そのことはあきらかです。
しかし当初のプロテスタンティズムはカトリックと同様に、国家は宗教によって規定されるということを堅持していたのです。
 

ルネサンスも宗教改革も中世的性格を色濃く残すものであり、本当の意味での近代の出発点にはなりえません。トレルチは次のように述べています。 

むしろ新しい世界の出発点は、およそ教会的に拘束せられたものをいっさい追放したという点に存する。しかもこのことは、ドイツ、オーストリア、フランス、オランダ、イギリスを舞台に縦横に暴れまわった大宗教戦争の成果なのである。(『ルネサンスと宗教改革』) 

すなわちトレルチは、「三十年戦争」を終結させた1648年の「ウェストファリア条約」こそ、近代の出発点と位置づけているのです。 

トレルチの議論のポイントは、「ウェストファリア条約によって、国家と教会の分離が決定的なものとなった」ということです。この「教会からの分離」という点を、トレルチは中世と近代の決定的な切れ目として捉えています。

・・・トレルチはマックス・ウェーバーのお友だちというのも、何だか気になるポイントなのだな。しかしまあとにかく自分的には、西欧におけるキリスト教中世と近代社会の連続と不連続を考えるのは大事なことだと思ってる。

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2014年8月26日 (火)

社外取締役って要る?

本日付日経新聞市況欄コラム「大機小機」(社外取締役は日本に必要か)からメモする。

またも会社法が改正され、企業経営者や長期投資家から見ると無意味な規制が強化された。独立した社外取締役導入の規制強化である。さすがに法律上の義務化は見送られたが、導入への圧力は強まった。社外取締役がいない企業は、「社外取締役を置くことが相当でない理由」を公表する義務が課されたからだ。 

日本の場合、委員会設置会社でなければ、社外メンバーを過半とする監査役会を設置することが、既に義務付けられている。
この制度は米国にはなく、取締役がお手盛りで監査する米国流よりも理にかなっている。
にもかかわらず、なぜ大きな効果が期待できない社外取締役の導入に圧力がかかるのか。
 

米国の短期投資家が、米国流の制度の採用を期待するからだ。営利企業である東京証券取引所が、こうした投資家の期待に応えようとしたくなるのはわかる。多くの手数料を落としてくれるからである。ではなぜ政治家まで彼らの期待に応えようとするのか。 

政治家にとって大切なのは目先の株価である。株価を上げるには、短期投資家に動いてもらう必要があるのである。 

しかし、産業の長期的な競争力強化に重要なのは、長期投資家の安定保有である。本来なら政府と与党は、長期投資家のコミットメントを促すような制度改革を目指すべきだ。

・・・ヘッジファンドのウケ狙いだけだったら、社外取締役は要らない。社外監査役だけで十分だ。

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2014年8月24日 (日)

2005年相場の再来を期待

日経新聞電子版8/20付記事「日本株、2005年相場の再来か」から以下にメモする。

「上値はせいぜい1万6500円だろう」
「自分は(公式には)1万8000円だが、市場の大勢意見は1万7000円のようだ」
何人かの市場関係者に年末までの上値メドを聞いたところ、どうも歯切れが悪かった。
 

彼らが日本株の見通しにやや慎重なのは、来年予想される米国の利上げの影響を読み切れないためだ。 

国内経済も、なかなかすっきりしない。4月の消費増税の影響が予想外に長引き、景気は腰折れするのではないかという不安がくすぶっている。 

「いま市場で口にされる不安材料は、日経平均が1年あまり1万1000円前後でもみあった2004年から05年夏にかけてよく似ている」。楽天証券経済研究所の窪田真之チーフ・ストラテジストは話す。 

米連邦準備理事会(FRB)は04年6月、約4年ぶりの利上げに踏み切った。利上げ前後の米株は高値圏で神経質な展開が続いたが、経済はその後も順調に拡大し、05年後半以降、米株は上昇基調を強めた。 

日本では景気は踊り場だった。ただ05年夏以降は、円安・ドル高の進行で企業収益が拡大。「郵政解散」をきっかけとした小泉純一郎首相(当時)による構造改革への期待もあり、株価は急上昇した。 

窪田氏はこうした経緯を踏まえ、05年相場の再来があるとにらんでいる。日本株の上放れの時期は今年11月ごろ、来年3月には日経平均は1万8000円台を付けるとみる。 

年後半は米国向けを中心とした輸出の拡大も期待できそうだ。米景気の本格回復と日米金利差拡大による円安など05年相場再来の条件はそろいつつあるようにみえる。

・・・2003年は相場底入れから株価急騰、04年のもち合い、そして05年の再上昇――という動きは、今回の12年末の株価底入れから13年の上昇、そして14年はもち合いという現状に、重ね合わせてみることができる。ここから、05年当時の「郵政解散」のような相場上昇に勢いを付ける材料が出てくる望みは薄いのかも知れないが、企業業績の拡大が持続すれば、ほぼ10年前のパターンが再現されてもおかしくはない。

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2014年8月23日 (土)

天下惣無事!

先日のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の冒頭、関白となった豊臣秀吉(竹中直人)が「天下惣無事!」を宣言していた(竹中秀吉の決めゼリフである「心配ご無用!」の手振りを付けながら言うので笑っちまった)。

この「惣無事」、最近の歴史用語かと。自分は学校で習わなかった。以下は『信長の血統』(山本博文・著、文春新書)からのメモ。天正14年(1586)末、秀吉はまず関東・奥羽の大名に向けて「惣無事」を命じる。

「惣無事」とは、領主同士が互いに合意した上での停戦協定を指し、関東ではそれまでも使われた言葉だった。
このため、「惣無事」は、「対東国固有の政策」であるという解釈がなされ、最近では、広域的かつ持続的に地域の大名領主を拘束した「令」ではない、という説まで提出されている。
 

しかし秀吉が、関東に対して一貫して「惣無事」という言葉で停戦要請をしていたことも事実である。「惣無事」という言い方は東国特有のもののようだが、九州に対しても「無事」という言葉で停戦要請が出されており、停戦を表す「無事」という言葉は上方でも使われている。 

戦国大名への停戦要請は、もともと足利将軍家の権限に由来するものだった。信長は、足利幕府再興を実現したことから、その権限の継承者としてふるまい、関東諸国への停戦要請を行った。
つまり、政策基調としての停戦命令は室町幕府以来、一貫して存在しており、天正14年12月の「惣無事」要請も、その政策の上に位置づけられるべきものである。 

こう考える時、「惣無事」は、秀吉が権力を握れば、単なる要請から、広域的かつ持続的に地域の大名領主を拘束する「令」に転化すべきものだったと見ることができる。
秀吉が惣無事を要請した個々の文書は個別的なものかもしれないが、それを総称して「惣無事令」と呼ぶことに問題があるとは思えない。 

戦国大名に停戦を要請し、天下の静謐を保つことは、室町将軍や信長といった武家政権の主が実現すべき責務だった。そして秀吉の場合は、要請に留まらず、「令」として強制し、従わない者には実力行使できるだけの軍事力をもって全国に実現させた。こうした歴史的意義は軽視されるべきではない。

・・・というようなことで、秀吉は偉大だなと単純に思う。しかし、これからは「惣無事」と聞くと、竹中秀吉の手振りが思い出されるような気がする。(苦笑)

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2014年8月 7日 (木)

石谷家文書と本能寺の変

先日、新発見の史料として発表された石谷(いしがい)家文書。その中の長宗我部元親書状(明智光秀の家臣、斎藤利三宛て)と「本能寺の変」との係わりをどうみるか。雑誌「歴史街道」9月号の記事から、歴史作家・桐野作人の意見を以下にメモする。

両者(織田権力と長宗我部氏)の関係は天正九年(1581)末頃まで比較的良好に推移したと考えられている。変化が生じたのは翌十年に入ってからである。そのきっかけはふつう、同年5月7日、信長が三男神部信孝に宛てた朱印状だとされ、いわゆる四国国分令(くにわけれい)と呼ばれている。その内容は讃岐を信孝に、阿波を三好康長に与えるといったもの。元親に対しては本国の土佐の安堵さえ保証されない厳しい内容に見えた。 

当然、元親は我慢できなかったはずである。
ところが、元親は阿波中部から南部に位置する一宮・夷山・畑山・牛岐などの諸城を明け渡して信長の朱印状に従うと利三に伝えている。
もっとも、元親は本音と建前を巧妙に使い分けているのではないだろうか。信長の圧倒的な矛先を避けるためにとりあえず恭順の意を示した。ところが、殊勝な態度をとりながら、元親は土佐の国境に近い海部と大西の両城を緩衝地帯として確保させてほしいと訴えている。
 

書状は元親の単純な恭順論ではなく、信長の命令に表面上は従うとしながらも、両城の確保という例外を認めさせる条件闘争に転じていると見るべきではないだろうか。 

じつは素朴な疑問が残っている。書状の日付の問題である。
5月21日は、本能寺の変のわずか十日前である。元親がこの書状を土佐の岡豊(おこう)城で書いたとするなら、利三は居城の丹波黒井城か近江にいたかどうか不明だが、瀬戸内という海を隔てて土佐から十日間で届くのは時間的に無理かもしれない。
 

そうであれば、書状は光秀=利三の謀反という決断にはほとんど影響を与えなかったかもしれないともいえる。 

いずれにせよ、今回の石谷家文書は非常に重要な史料であることは否定できないものの、本能寺の変の真相解明という観点からは、かえって謎が深まった面もあるといえそうである。

・・・この書状の発見は、本能寺の変の真相を明らかにするとまでは言えないにしても、「四国問題」が変の背景としてかなり強く作用した、という推測を補強することになるのではないか。

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2014年8月 4日 (月)

『成田亨作品集』

夏休みは怪獣の記憶を呼び起こす。というわけで買いました、『成田亨作品集』(羽鳥書店)、定価税込5400円也。カバー表紙はピグモンです。「成田亨 美術/特撮/怪獣」展(富山県立近代美術館)の公式カタログとのこと。展覧会は来年、福岡市美術館、青森県立美術館を巡回予定。同書の中にある成田亨の文章からメモしてみる。

Photo_2

私は人間は進歩するものだと思っていません。人間は進歩はしないで、変容してゆくのだと思っています。
変容してゆく人間の本質って何だろうか? 私には判りませんが、人間の本質とか人間と自然が
滅ぼした動物のことなどを考えながら、私は怪獣デザインをします。 

ウルトラ怪獣のデザインをするに当たって、3つの規範を定めました。 

1 怪獣は怪獣であって妖怪(お化け)ではない。だから首が2つとか、手足が何本にもなるお化けは作らない。
2 地球上のある動物が、ただ巨大化したという発想はやめる。
3 身体がこわれたようなデザインをしない。脳がはみ出たり、内臓むき出しだったり、ダラダラ血を流すことをしない。
 

どんな困難に遭っても健全な子供番組を作るためには、この3原則だけは守ろうと思いました。

・・・上記の「原則」を自分も子供の頃、『怪獣の描き方教室』(ノーベル書房、1967)の中で読んだ覚えがある。ほかにもレッドキングやゴモラのデザインの考え方が分かりやすく述べられていたのが、とても印象的だった。

繰り返し思う。怪獣はアートだ。このアートに深く心を動かされた僕たちニッポンの子供は幸せだった!ってね。

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