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2014年3月24日 (月)

「往生」と「成仏」

学校では教えてくれない日本史の授業 天皇論』(井沢元彦・著、PHP文庫)から、大乗仏教の話をメモする。

「解脱」というのは、直訳すると「解き放たれてそこから脱出する」ということです。何に囚われているのかというと「輪廻」です。解脱するためには、修行をして自ら悟るしかありません。地位も名誉も財産も、すべてを捨てて出家して、修行に励まなければいけないというのが仏教の本来の教えなのです。

この(自力修行の困難という)問題を克服するために考え出されたのが、仏様のお力を借りるという方法でした。仏というのは悟りを開いた人という意味なので、お釈迦様以外にもさまざまな仏様がいるというのがこの考え方の前提にあります。そうした仏様の中のひとり「阿弥陀仏(=阿弥陀如来)」という仏様のお力をお借りするのです。なぜ阿弥陀様なのかというと、唯一この仏様だけが、「自分を念仏する人々を助けましょう」と言っているからなのです。

「極楽」というのは、正式には「極楽浄土」と言い、阿弥陀如来の住まう世界の名前です。「往生」というのは、文字通り「往って生まれる」ということです。つまり、亡くなった後、輪廻の輪の中にある世界に生まれ変わるのではなく、私の住む極楽浄土に生まれ変わらせてあげようというのです。こうして自力ではなく、阿弥陀仏の力、つまり「他力」によって解脱することを目指す仏教が生まれました。(大乗仏教)

往生というのは、念仏の結果、極楽浄土に生まれ変わるというのが本来の意味です。成仏というのは、本来は、念仏をして極楽に生まれ変わり、極楽で阿弥陀様の指導を受けて一人前の仏になるという意味です。日本人は、「往生」とは「満足できる死に方」、別の言い方をすれば「悔いのない死に方」であり、「成仏」とは、「死後に、怨みなど心残りが晴らされたこと」という意味で使っているのです。

これらは明らかに仏教とは異なる思想に基づいています。それこそが、日本人の心に深く根ざした「神道」(怨霊信仰)なのです。

・・・「往生」や「成仏」の意味が、いつのまにか変わってしまうことに見られるように、昔から日本は宗教含む外来思想を熱心に取り入れるのだが、自分の根っこにあるものは変えないというか、外来思想も日本風に変えてしまう場合が多いというのは、よく言われる話。やっぱりそれが日本の特質のひとつなんだろうな。

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