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2014年2月14日 (金)

太田牛一とフロイス

織田信長の詳細な記録を残した二人の男――東の太田牛一『信長公記』と西のルイス・フロイス『日本史』。雑誌「歴史発見」vol.2「総力特集 あなたの知らない織田信長」から、藤本正行先生の解説をメモする。

信長の事跡が豊富に伝わっているのは、その家臣で信長より7歳年長の太田牛一(1527~1613)が、信長の伝記『信長公記』を書いたからだ。
『信長公記』は牛一の日記をもとに書かれたと考える方が多いが、牛一がその場にいなかったと思われる記事も少なくない。
牛一は度々『信長公記』を書き直しているが、その時々で、たまたま手元にあった素材を寄せ集めたのである

近世以前の人物には、めったに記録されないことがある。体型や嗜好、声のトーンや話し方、人との接し方などがそれだ。以下は宣教師ルイス・フロイス(1532~1597)がその著『日本史』に記した信長像である。

彼は中くらいの背丈で、華奢な体躯であり、髭は少なくはなはだ声は快調で、極度に戦を好み、軍事的訓練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった。貪欲でなく、はなはだ決断を秘め、戦術にきわめて老練で、非常に性急であり、激昂はするが、平素はそうでもなかった。彼はわずかしか、またはほとんど全く家臣の忠言に従わず、一同からきわめて畏敬されていた。

こうしたことを記録したのはフロイスが外国人で、布教のための情報を集め報告する義務があったからである。
『日本史』は日本人が書き残さなかった信長とその時代を、生き生きとよみがえらせてくれる得難い史料なのである。

・・・最近のNHK番組で見たのは、本能寺の変の後、太田牛一が現場にいた女中たちと対面を果たし、信長最後の言葉「是非に及ばず」を聞き出すという話。とにかく太田牛一、そしてフロイスも、その取材力は驚異的な感じがする。何というのか、あたかも信長を記録するために生まれたような男たちのおかげで、我々は日本史上最大級の英雄の人物像や行動を身近なものとして知ることができるんだから、すっごい有り難いというほかないです。

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