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2014年2月24日 (月)

「成熟債権国」のまぼろし

今週の「日経ヴェリタス」(2/23号)のコラム記事「成熟債権国の危うい幻想」(滝田洋一・編集委員)から以下にメモする。

対外収支が変調をきたしている。2014年1月の貿易収支は2.79兆円と月間で最大の赤字になった。13年の貿易赤字は11.47兆円。年間では最大だったが、14年はそれを塗り替えそうだ。13年の経常収支はからくも3.31兆円の黒字を確保。14年の経常収支はトントンになるかもしれない。

国際収支の発展段階説を持ち出して、日本は「未成熟な債権国」から「成熟した債権国」に移行した、と説明する向きもある。成熟した債権国とは、貿易赤字を所得収支の黒字で埋めて、経常黒字を確保する段階。

今の調子で貿易赤字が増え所得収支の黒字を上回るようになれば、経常収支は赤字となる。そうなると、海外からの資本流入に頼るか、これまでの経常黒字で積み上げてきた海外資産を取り崩さなければ、日本全体の資金繰りがつかなくなる。これが「債権取り崩し国」の段階だ。

エコノミストは「経常赤字は必ず資本流入で埋め合わされる」というのを好む。問題は摩擦なしに埋め合わせが可能かどうかである。「米国は長いこと経常赤字でも支障をきたさない」などと、米国の例を持ち出すのは見当違いだろう。ドルと違って円は基軸通貨ではないからだ。

しかも日本は財政収支の大幅な赤字が続いている。高齢化が進むなか、放っておけば財政赤字は拡大の方向をたどる。経常収支が黒字であるうちは国内のおカネで財政赤字の穴埋めが可能だが、経常赤字となると海外の資金に頼らざるを得なくなる。いきおい、財政赤字のコストである国債の利回りには上昇圧力がかかる。

財政の立て直しには、何といっても経済成長率を高め税収を増やすほかない。経常収支の赤字転落を防ぐには、輸出を増やし輸入を抑えるほかない。(生産拠点の海外移転が進むなか)いずれも予想外にきつい課題である。

・・・として、「債権取り崩し国の段階はすぐそこまで来ている」と警告している。

もし経常収支の赤字基調が定着した場合の一番の懸念は、これまで繰り返し語られてきた「国債暴落」が現実味を強く帯びることだろう。

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2014年2月14日 (金)

太田牛一とフロイス

織田信長の詳細な記録を残した二人の男――東の太田牛一『信長公記』と西のルイス・フロイス『日本史』。雑誌「歴史発見」vol.2「総力特集 あなたの知らない織田信長」から、藤本正行先生の解説をメモする。

信長の事跡が豊富に伝わっているのは、その家臣で信長より7歳年長の太田牛一(1527~1613)が、信長の伝記『信長公記』を書いたからだ。
『信長公記』は牛一の日記をもとに書かれたと考える方が多いが、牛一がその場にいなかったと思われる記事も少なくない。
牛一は度々『信長公記』を書き直しているが、その時々で、たまたま手元にあった素材を寄せ集めたのである

近世以前の人物には、めったに記録されないことがある。体型や嗜好、声のトーンや話し方、人との接し方などがそれだ。以下は宣教師ルイス・フロイス(1532~1597)がその著『日本史』に記した信長像である。

彼は中くらいの背丈で、華奢な体躯であり、髭は少なくはなはだ声は快調で、極度に戦を好み、軍事的訓練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった。貪欲でなく、はなはだ決断を秘め、戦術にきわめて老練で、非常に性急であり、激昂はするが、平素はそうでもなかった。彼はわずかしか、またはほとんど全く家臣の忠言に従わず、一同からきわめて畏敬されていた。

こうしたことを記録したのはフロイスが外国人で、布教のための情報を集め報告する義務があったからである。
『日本史』は日本人が書き残さなかった信長とその時代を、生き生きとよみがえらせてくれる得難い史料なのである。

・・・最近のNHK番組で見たのは、本能寺の変の後、太田牛一が現場にいた女中たちと対面を果たし、信長最後の言葉「是非に及ばず」を聞き出すという話。とにかく太田牛一、そしてフロイスも、その取材力は驚異的な感じがする。何というのか、あたかも信長を記録するために生まれたような男たちのおかげで、我々は日本史上最大級の英雄の人物像や行動を身近なものとして知ることができるんだから、すっごい有り難いというほかないです。

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2014年2月12日 (水)

「信長革命」の破壊的徹底性

織田信長の国家ヴィジョンとは、どのようなものだったのか。以下に藤田達生・三重大学教授の解説をメモする。(雑誌「歴史発見」vol.2の総力特集「あなたの知らない織田信長」より)

室町幕府体制との対決の末に信長が到達したのは、伝統的な主従制のありかたを否定し、大名クラスの家臣個人の実力を査定し、能力に応じて領地・領民・城郭を預けるという預治思想(よちしそう)だった。

天下統一戦とは、預治思想にもとづき敵対大名の領地・領民・城郭を収公しながら、天下人を頂点とする「官僚制的封建国家」へと統合する戦争であり、極端に言えば、信長以外の武将は誰も考えなかった「非常識」な戦争だった。

信長は、主従制の中核に位置した君臣関係を超越する「公」概念としての「天下」を定立し、天下人として自らそれと限りなく一体化した。「予が国王であり内裏(だいり=天皇のこと)である」(信長が宣教師ヴァリニャーノに告げた言葉)

この思想的背景とは、いったいなんだったのか。信長は、古代中国の秦・漢帝国による国家統一に関する知識を得ていたと推測される。具体的な施策については、中国皇帝が地方に官僚を派遣して中央集権的に直接統治する郡県制の影響を受けたことによるのではないか。

信長とその後継者秀吉による天下統一戦は、全国の領主から本主権(先祖伝来の本領に対する伝統的支配権)を奪って収公し、あらためて有能な人物を国主大名以下の領主として任命して、実力主義の貫徹する合理的な国家を作り出すことを目指す「革命」だった。

ただし、信長は自らが神格化して天皇に代わる権威として定立しようとしたが、秀吉は関白に任官し天皇権威を利用して武家官僚制を導入したことが、両者の大きく異なるところだった。

・・・絶対君主、中央集権、官僚制等々、信長の国家観は時代の先を行くものと見えるが、実はそのアイデアは古代帝国をモデルとしていた。似たような先進的中世君主として思い出されるのは、神聖ローマ皇帝フリードリッヒ二世(1194~1250)だ。最近塩野七生の書いた評伝も出ている人物で、ローマ帝国を範として、自らの本拠地であるシチリア王国の中央集権化、法治国家の確立を目指したのだが、ローマ教皇や都市同盟との戦いに身心を消耗する中、道半ばにして斃れたのだった。

とにかく、誰も思いつかなかったことを考えて実行に移した信長は、日本史における驚異的存在だ。信長の始めた「革命」は秀吉に継承されて、いちおうの完成は見たのだが、その徹底性は明らかに後退していた。そして家康は、変革よりも秩序固めの道を歩んでいくのだが、何にせよ三英傑の時代は日本史の巨大なターニングポントだなと、つくづく思う。

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2014年2月11日 (火)

黒田官兵衛と朝鮮出兵

黒田官兵衛は、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役、1592~1598)にも従軍している。なので、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」は朝鮮出兵をどう描くのか、歴史ファンの話題になっているという(「週刊ポスト」2/7号記事)。とりあえず自分も、朝鮮出兵時の黒田官兵衛は何をしていたのか、メモしてみる。(『黒田官兵衛』中公新書、『黒田官兵衛』平凡社新書、『黒田官兵衛は天下を狙ったのか』ベスト新書、『秀吉ではなく家康を「天下人」にした黒田官兵衛』双葉新書を参照しました)

朝鮮攻撃基地である肥前名護屋城は、天正19年(1591)10月から築城開始。黒田長政、小西行長、加藤清正に普請が命じられたが、長政の父である官兵衛が城の縄張り(設計)を決めたという。天正20年(後に文禄に改元、1592)3月に城の主要部分は完成。4月に日本軍15万が渡海し、プサンに上陸した。文禄の役の始まりである。官兵衛も5月に渡海するが、体調を崩して、いったん帰国。文禄2年(1593)3月、再び朝鮮に渡る。そして、事件が起きる。

軍議のため、石田三成、増田長盛、大谷吉継がハンソン(ソウル)から、官兵衛と浅野長政のいるトンネ(プサン近辺)まで移動。到着した時、二人は囲碁の対局中だったが、軍議を後回しにしてそのまま打ち続けたため、待たされた三人は怒って帰ってしまった。この後5月、官兵衛は帰国。三成らとの一件を弁明するためともいわれるが、許可なく戻ったことから、秀吉の激しい怒りを買ってしまう。官兵衛は出家して蟄居謹慎。8月には長政あてに「遺言」も認める程、追い詰められた心境に至ったが、結局処罰されることなく許された。

官兵衛が謹慎した頃から、戦いは和睦を探る動きとなり、一時休戦状態に。しかし講和は最終的に成立せず、慶長2年(1597)戦闘再開(慶長の役)。同年末、加藤清正の守るウルサン城の攻防戦。年が明けて慶長3年(1598)正月早々、黒田長政が救援のため、ヤンサン城から出撃。城の留守を預かる官兵衛は1500の兵で、攻めてきた明軍8000を撃退した。同年8月、秀吉の死により、朝鮮攻撃作戦も終結を迎える。

・・・こう見てくると、特に「囲碁事件」から官兵衛が出家に至る過程は、大河ドラマ的には欠かせないエピソードと思われるが、果たしてNHKは朝鮮出兵をどう扱うのだろうか。週刊ポスト記事では、ほぼ無視、ナレーションだけ、イメージ映像で処理、等々の予想が並んでるけど、やっぱり歴史ドラマなんだから、重大な歴史的事実はスルーして欲しくないよな。

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