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2014年1月14日 (火)

世俗化社会と神学の意義

先日、池田信夫先生がブログで、「カール・シュミットがいうように、主権は神のメタファーであり、政治は神学である」と指摘して、シュミットの著作『政治神学』を取り上げていた。シュミットの「政治神学」が意味するもの、さらには現代における神学の意義について、『神学の起源』(深井智朗・著、新教出版社)からメモしてみる。

シュミットにとっての「政治神学」というのは、政治的諸概念が持つ神学的な起源のことである。たとえば「国家主権」というような場合にこの「主権」という概念が持っている神学的起源である。したがって、シュミットにとって実は「政治神学」とはひとつの世俗化論なのである。世俗化と言うと、社会の脱宗教化のことと考えてしまいがちであるが、逆に世俗化とは、現代のさまざまな社会の仕組みや思想が持っている、切っても切れない宗教的な起源を説明してもいるのだ。シュミットの「政治神学」というのはそういうものである。

つまり世俗化とは、現代社会のように「聖なるもの」を失い、脱宗教化して、社会システムのあらゆる場所から神を追い出すことだと説明されるが、逆に、その社会には、たとえ人々が宗教を忘れ、聖なるものを失っても、なお「世俗化した」形で元来のシステムが残っているという、過去と現在の連続性を説明することにもなるのである。そうすると神学は、西ヨーロッパに起源をもつあらゆる文化や学問、制度やシステムを考える時に、常に対話の相手として呼び出される、非常に重要な学問ということにならないだろうか。

神学を知っていることによって、ヨーロッパやアメリカの世界を理解できる可能性があるとしたら、それはむしろ神学を知ることで、世界の「深層構造」を知ることができるということではないかと思う。

・・・ポストモダンの後にグローバル近代がやってきたというか、現代社会のベースにあるのは結局、国家、資本主義、科学技術という近代的諸原理であり、それらは言うまでもなく、キリスト教と神学により形成された西欧社会から生み出されたものであるから、グローバル社会の中で生きる日本人にとっても、キリスト教や神学は決して無縁のものとは言えないのだと思う。

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