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2013年12月29日 (日)

キリスト教を創ったパウロ

パウロについて、『聖書の常識』(山本七平・著、文春学藝ライブラリー)からメモする。

「パウロなくしてキリスト教なし」ということは確かにいえる。その意味で彼は、以後の西欧文明の方向を定めた、というより、世界の文明の方向を定めた人といえる。 

パウロには「内なる人」と「外なる人」という言葉があるが、この考え方もこれに該当する言葉も旧約聖書にはない。いわば、この思想は新約聖書、とくに国際人パウロにおいて独特なものと考えられる。 

パウロにこの独特な思想が出てくるのは、やはり彼の生涯との関係で理解すべきであろう。いわば彼の一生は「外なる人」としてはローマ法に従い、その保護をうけ、また自らもそれを利用する人間だが、「内なる人」はあくまでも、ユダヤ人であった。 

だがこれは、ユダヤ人には認め得ないことであった。彼らにとっては、神との契約が絶対であり、その契約である律法を厳守することが信仰であり救済であるから、パウロのような考え方をうけ入れる余地はあり得ない。 

そしてこの考え方は、「内なる規範」と「外なる規範」というかたちで、その後の西欧文明の方向を決定した。いわば「法」はあくまでも外的規範であって、その人の内心に立ち入ることは許されない、という原則が確立していなければ、「信教の自由」もまた「言論の自由」も、あり得ないからである。 

キリスト教とユダヤ教の分裂は、実にパウロにはじまるといってよい。

・・・この復刊本の解説は佐藤優が担当。その解説文からもメモしよう。

『聖書の常識』で語られている「常識」は、現代プロテスタント神学が考える標準的なキリスト教観だ。すなわち、キリスト教は、イエス・キリストが救いであるということを基礎とする救済宗教である。イエスは自らをキリスト教徒とは考えていなかった。ユダヤ教から分離したキリスト教という新しい宗教を創ったのは、生前のイエスと会ったことのないパウロだ。そして、イエスを救世主と信じる人は、パウロと同じようにイエスに会えるのである。

・・・ということで、とりあえずキリスト教とはそういう宗教だ、と憶えておこう。

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