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2013年12月12日 (木)

皇帝フリードリヒ2世とイスラム

11月の「地中海学会月報」(364号)掲載「君主の魅力 中世地中海に君臨したフリードリヒ2世」(今春のブリヂストン美術館・土曜講座における高山博先生の講演要旨)からメモする。

十字軍の歴史の中で、一度の戦闘を交えることもなく、エジプトのスルタンとの交渉だけでエルサレム回復に成功した十字軍がある。神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の第5回十字軍である。 

一般に『アレクサンドリア総主教の歴史』として知られるアラビア語年代記によれば、フリードリヒ2世とカーミル(イスラム教のスルタン)との間に少なくとも3度の使節の往来があった。一つ目は、フリードリヒ2世からカーミルへ派遣された使節である。二つ目の使節、つまり、カーミルからフリードリヒ2世への使節は、ファフル・アッディーンの使節として研究者のあいだでよく知られているものである。
三つ目の使節、つまり、帰還するファフル・アッディーンの使節とともにカーミルのもとへやってきた
フリードリヒ2世の新たな使節がエジプトへ到着したのは、1227年8~9月頃である。 

このような状況のなかで、1228年6月、フリードリヒ2世は十字軍を率いてイタリアを出航したのである。彼の船は、9月にアッコに到着した。フリードリヒ2世は、アッコに到着するとすぐにカーミルへ使節を送り、エルサレムを手に入れるための交渉を始めた。 

1229年2月11日、ついに、カーミルはフリードリヒ2世にエルサレムを明け渡すというヤッファ協定が結ばれた。
エルサレムは、皇帝の統治下に置かれたが、この聖都の内部にあるイスラム教徒の聖所、すなわち、岩のドームとアクサー・モスクを含むハラム・アッシャリーフ区は、イスラム教徒の管理下に置かれ、イスラム教徒はこの場所に自由に出入りし礼拝を行うことを認められた。

・・・高山先生は、「フリードリヒ2世の十字軍を、中東の君主との外交関係という文脈の中に置くことは、当時の地中海地域を理解するための新たな視点を提供」する、と指摘している。

思うに、出身地シチリア王国の多文化共存的伝統に則ったフリードリヒ2世のイスラムとの交流は、ローマ・カトリック十字軍の掲げる聖戦=異教徒殲滅への意志を、無意味なものにしたのである。

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