ワイマル共和国の苦闘
先頃「ナチス憲法」とか、またテキトーな政治家がテキトーなこと言ってる、という感じだったけど、でも俺ワイマル共和国についてよく知らないなあとも思い始めて、少し勉強。主な出来事を年表的に並べると以下のようなこと。
1918年11月 第一次世界大戦中のドイツで革命が起こり、帝政が終わる。
1919年 1月 ドイツ共産党(スパルタクス団)の蜂起
2月 社会民主党を中心とする政権成立
6月 ヴェルサイユ条約調印
7月 ワイマル共和国憲法を採択
1920年 3月 右翼政治家・軍人によるカップ一揆
1923年 1月 フランス・ベルギー軍、ルール地方占領。賠償支払いを要求。
天文学的なインフレーション起こる
11月 ヒトラーのミュンヘン一揆失敗
1924年 8月 賠償支払条件を見直したドーズ案調印
アメリカ資本の流入で経済好転。「相対的安定期」
1929年10月 アメリカのウォール街で株価大暴落、世界恐慌始まる。
1930年 3月 政党間の対立激化、大統領が首相を指名(大統領内閣)。
9月 選挙でナチ党大躍進、12議席から107議席に。
1933年 1月 ヒトラー、首相に指名される。
ワイマル憲法は国民主権を謳い、国民の幅広い社会的権利を規定。当時最も民主的な憲法を生み出した共和国政権はしかし、その成立当初から左右両極からの激しい攻撃に晒され続ける。そしてインフレーションの発生により、共和国の危機は頂点に。しかし当時のシュトレーゼマン首相は新通貨発行によりインフレを終息させると、以後は外相として国際協調路線を邁進。ロカルノ条約締結(1925)、国際連盟加盟(1926)を実現するなど八面六臂の活躍を見せるも51歳で急死。その直後に起きたアメリカの株価大暴落により、ドイツ経済は再び混迷。失業者が一気に増大する中、ナチ党と共産党の支持が拡大する。議会は調整能力を失い、以後は大統領が首相を指名。その「大統領内閣」の影の実力者である「政治的将軍」シュライヒャーは、ナチ党を上手く操ろうと画策するが結局失敗。遂にヒトラーが首相に任命される。以後ヒトラーは憲法の停止、全権委任法の成立、政党の解散、大統領を兼任する総統就任と矢継ぎ早に手を打ち、独裁体制を確立するのだった。
「最も民主的な憲法の国から独裁者が生まれた」という言い方がされることもあるけど、戦争と革命そして恐慌の時代の中、大衆社会における理想主義的憲法は些か現実離れしていたのかも知れない。
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