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2013年6月22日 (土)

社会を壊す「底辺への競争」

昨日21日付日経新聞市況欄コラム「大機小機」(「底辺への競争」の危うさ)から以下にメモ。

いわゆる「底辺への競争」は、外国企業の誘致や自国産業の育成のため、国が税制や労働条件、金融や会社法などの規制緩和を競うことにより、結果的に国民の生活水準の劣化を招く、グローバリゼーションの負の側面を指す。古くは1930年代、新しくはリーマン・ショック後の金融経済危機の下で強く意識されるようになった現実だ。

「底辺への競争」を国に要求するのは資本だ。資本の源泉は今や年金などの国民の貯蓄だが、法外な成果報酬制度の導入などで、企業経営者と機関投資家の利害は短期利益志向で一致し、資本と労働の分配は資本に偏る。労働者(被用者)と投資家(受益者)の顔を持つ国民(利害関係者)の、市場を通じた均衡ある分配という予定調和の想定は崩れ、格差の拡大と社会の分裂を招いている。

グローバル化を無批判に受け入れて市場におもねり、金融と財政で将来の利益と需要を先食いする一方で、(企業の)税負担を逃れる行動を放置すれば、社会と政治、経済そのものが持たなくなる。

・・・コラムの筆者であるペンネーム「混沌」(おそらく特別編集委員の末村篤)氏の指摘は、現在の経済社会の根本問題だと思われる。それは、水野和夫や佐伯啓思の問題意識にも重なる。水野先生のいう「資本の反革命」は続いているし、佐伯先生の「市場主義批判」が止まることもないだろう。

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