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2013年6月24日 (月)

ルターという「革命家」

まずは16世紀宗教改革を可能にした当時のドイツの社会状況について、『世界は宗教で動いてる』(橋爪大三郎・著、光文社新書)からメモする。

ルターが現れた当時のドイツは領邦国家が群立する状況で、中小の封建領主がひしめき合っていました。そんな状況だったので、ルターのような教会批判が現れれば、カトリック教会の側に立ってルターをけしからんと思う統治者もいれば、ルターを支持して保護を与えようとする統治者もいた。このように政治権力が分裂していると、宗教改革のような運動が広がる余地があった。

ドイツの諸侯にしてみれば、カトリック教会の言うことを聞かなくてもいいというルターの説は、(教会に納める税金など)財政負担が削減できる、おあつらえの学説だったのです。だからカトリック教会にあえて反対しても、ルターを助ける諸侯が出てきた。

・・・当時の人文主義の運動や活版印刷の発達も、ルターの活動の支援要因だった。そしてルターの思想が広がった結果、世俗君主は教会の権威から自由になる。以下は『東大のディープな世界史』(祝田秀全・著、中経出版)からのメモ。

1506年にイタリア留学を果たしたエラスムスは、その成果を1516年『校訂版 新約聖書』として出版。ラテン語版の『新約聖書』にギリシア語の対訳が付けられたものです。
宗教改革の狼煙となったルターの『95か条の論題』(1517年)は、1522年から大量に印刷され、発行部数は30万部をかぞえました。
ルターは1521年、ドイツ語訳『聖書』の出版に着手。これは先のエラスムスの『校訂版 新約聖書』を底本にしています。

(ローマ教会という)「中世的権威の衰退」を決定づけたのは、アウクスブルクの宗教和議(1555年)の合意。神聖ローマ帝国では、カトリックか、ルター派か、といった宗教の決定権が世俗(領邦君主・自由市)側に属することになったのです
イメージとしては、今まではドイツ内の約300藩の殿様たちは、生まれた瞬間からカトリックで、教皇の絶大な権威に服してきた。ところが、宗教和議によってそれが逆転。カトリックか、ルター派かのどちらを採るかは、殿様が自分で決められる。これはまさしく、主権国家体制の要件をなすものとなりました。

・・・「95か条の論題」から100年後、1618年に始まった三十年戦争は、1648年のウェストファリア条約締結で終わった。つまり宗教改革の開始は国家主権体制の確立に帰結した、と見られるわけだから、ルターは時代を回し社会を大きく変えた「革命家」だと言ってよいと思う。

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