生きる意味あれこれ
最近買った本の中で目に付いた、生きる意味について語られた言葉を以下にメモしてみる。
幼少の頃の誰もが持つ疑問こそが、人間にとって最も重要な疑問であり、その答えを探すために人生を生きるのが人間だと思う。
死ぬってどういうことだろう。死んだらどうなるのだろう。宇宙やこの世界には、果てがあるのだろうか。あるとしたら、その果てには何があるのだろう。これらは、小さい頃からずっと考え続けているのだが、いまだに答えが出ないし、きっと見つからないままだと思う。(『糞袋の内と外』石黒浩・著)
80年代にいろいろくどくどと「意味と生命」について論じたりしたが、意味も生命も静的なものでは絶対にないぞ、また動的なことでなくてはならないぞ、と強調した。要するに単純に、生きることそれ自体が意味だと言ったのに過ぎない。(『栗本慎一郎の全世界史』)
自分の人生はなんだったんだろうかと思うようになった。
なんだったか?
からっぽだった。
特に人生の意味といったものはなかった気がする。
世間的に社会的に、自分の人生の意味はないとしても、自分の内面から見れば、それなりにある種の手応えのようなものがあれば、それを支えに生きていける。
とるに足らないことであっても自分の人生の意味合いを了解しながら生きていくことはできる。
考えて了解する人生は誰もが実現できる。
自分で考えて自分だけの人生を発見していくほうが、結局、納得できる人生になる。(『考える生き方』finalvent著)
・・・生きるとは、生きてみることだ。ある程度生きてみたところで、自分の人生大体こんなもんじゃないだろか、って感じになるわけで、なるほど若い頃に自分の人生の意味をあれこれ考えても分からないはずである。そして、現実に対する一定の認識を得ることが、人生の意味と思ってもいいんだろう。それは絶対的真理とか宗教的境地とか、そんな大それたものじゃなくて、とにかく今ここで、自分が生きているその現実について、それなりに包括的な認識を持つ、というようなこと。
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