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2013年3月28日 (木)

竹田城の訪問、有料に

竹田城といえば、雲海に浮かぶ巨大石垣群の画像で知られる山城。近年、その人気は高まっており、この秋以降は訪問者から「入場料」を取ることが決まったそうだ。本日付日経新聞の記事からメモする。

「天空の城」とも呼ばれ、ここ数年で訪れる人が急増している兵庫県朝来市の国史跡・竹田城跡の観覧料を徴収する条例が27日、市議会で可決、成立した。

市によると、今年10月以降、高校生以上から300円を徴収する。中学生以下は無料。閑散期の12月11日から3月19日までは対象外。

竹田城は1400年代中ごろに築かれたとされ、今は標高約350メートルの山頂に造られた石垣が残る。来場者は2010年度に5万2千人だったが、11年度は9万8千人、12年度は21万5千人に急増。朝来市はトイレの維持管理費や警備費の捻出を迫られていた。

・・・しかし5万、10万、20万と倍々で訪問者が増加しているのは驚く。何でかな~と思って検索してみると、特に去年は映画(「あなたへ」高倉健主演)の中に竹田城が出てきたらしくて、それも理由の一つかもしれない。もともと竹田城は山城ファンの「聖地」であったが、とにかく一般人の認知度も高まっているのは結構なことだ。

誰が決めたか知らないが、いちおう「三大山城」というと、備中松山城(現存天守)、岩村城(標高最大)、高取城(比高最大)が挙げられる。しかし竹田城はそれらとは別格扱いというか、専門家も「織豊期城郭の傑作」と認めるこの城を、「日本一の山城」と呼ぶことに躊躇いはない。訪問者増が一時的なものに終わらないことを願います。

(自分が竹田城に行ったのは4年前のこと)

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2013年3月25日 (月)

リフレ政策、是か非か

今週の「週刊エコノミスト」(4/2号)掲載、リフレ派の飯田泰之先生と反リフレ派の小幡績先生の対談記事「アベノミクスの金融政策は正しいか」から、以下にメモする。

飯田泰之(駒沢大学経済学部准教授):安倍政権の金融政策は「リフレ政策」と言われますが、実際にはまだ大きくは政策が変わっていないのに、市場が反応することに不思議さを覚える人は多いですね。これは、経済学の「合理的期待形成」の考え方を使うと整理できます。
1年後に株が上がっているならば、みんな今、株を買います。そうすると、現在の株価が上がるのです。これは為替や土地など他の資産についても同じことが言えます。これが合理的期待形成の考え方です。
企業や個人の保有する資産価格が上昇すれば、担保価値の上昇などによって企業や個人のバランスシート改善につながり、それが投資や消費の拡大に結び付きます。これを「資産効果」と言いますが、まさに安倍政権の金融政策が人々の期待を転換させ、こうした循環を生み出しているのです。

小幡績(慶応義塾大学大学院准教授):本当に景気が良くなるためには、モノやサービスへの需要が幅広く高まり、その結果として実質的な賃金が増え、消費が拡大するという循環が生まれる必要があります。モノやサービスの価格はその結果として上がってくる。しかし、人々の期待を反映しやすい為替や株式などの金融市場と実体経済の回復とはまったく別の話です。
それでは、なぜ現在、円安が進行して株価が上がっているのか。世界の株価はどの国でも上昇しています。リーマン・ショック(2008年)から5年近くが経ち、米国経済が回復の軌道に乗ったことや欧州債務危機の支援の枠組みがまとまったことなどが背景にあります。政策としてのアベノミクスの効果とはいえません。

飯田:これまでの日本は世界経済が好景気になってもその波に乗れませんでした。それはなぜなのか。日本の金融政策がまったくダメだったからです。今回は世界の回復基調のなかで非常にいいタイミングで大胆な金融緩和を打ち出したことが効果を大きくしています。

小幡:実体経済とは関係なくインフレを起こせば、モノのインフレより先に、株や土地などの資産バブルが起きます。しかし、バブルは崩壊しない間はハッピーですが、リーマン・ショックのように崩壊すれば深刻な影響をもたらします。

飯田:確かに、副作用のない政策はないと思います。しかし、新しいことを何もせずに、今まで通りを継続することの副作用も考えるべきでしょう。何もしない場合の副作用は明確で、デフレ不況の深刻化で労働市場は低迷し、税収は年々減少しています。このような状況で、増税して財政再建などできるのでしょうか。少なくとも、今の時点でバブルだと騒ぐことはないと思います。

・・・思うに、この程度の株価上昇をバブルと呼ぶのは、ちゃんちゃらおかしい。現状は、下げすぎの訂正というところだろう。バブル云々は、株価が今の倍の水準まで上がった時に心配すれば良いんじゃないのかなあ。とにかくリフレ政策、やってみなきゃ分からないところはあるにしても、もうやるっきゃない、という感じ。

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2013年3月24日 (日)

スペイン内戦の混沌

今年生誕100年のロバート・キャパの話題に接すると、スペイン内戦がどういう戦争か気になってくるわけですが、とりあえず第一次世界大戦から内戦に至る大まかな流れを以下に、『カタルーニャを知る事典』(田澤耕・著、平凡社新書)からメモします。

1914年、第一次世界大戦が勃発すると、中立国であったスペインは戦争特需で好景気に沸いた。しかし、潤ったのは資本家ばかりで、庶民の所得は増えず、むしろ物価高騰によって生活は苦しさを増した。とくに自分の土地を持たない農民や、工員たちの生活は悲惨であった。

1917年に起きたロシア革命は、労働者や農民の革命に対する希望を大きく膨らませ、各地で地主や資本家に対する反乱が相次いだ。とくに、工業先進地域であったバルセロナでは、資本家を標的とするアナキストによるテロが頻発した。

このような混乱を収拾するには武力による厳しい統制しかない、と1923年、ミゲル・プリモ・デ・リベラ将軍が軍事クーデターを起こした。国内情勢は一応、安定したものの、プリモ・デ・リベラは徐々に独裁色を強め、労働者層のみならず資本家の支持も失った。そこに起こったのが1929年の世界大恐慌だった。スペインの国家財政は一挙に悪化し、プリモ・デ・リベラは1930年、退陣を余儀なくされたのだった。

1931年に行われた選挙では、共和制支持(つまり王政不支持)の諸勢力が大勝利を収めた。共和国政府は、軍隊の刷新や教育改革、大土地所有者の土地を収用して再配分する土地改革などに意欲的に取り組んだ。しかし、この政策は当然、地主、大資本家、教会といった旧体制の支配者層の反対にあった。また、恐慌の影響をまともに受けていた農民や労働者も、改革が不十分であるとして各地で暴動を起こした。

アサーニャ首相は混乱の責任を取って辞任、1933年の総選挙では右派が勝利を収めるに至った。一方、右派の支配に反対する社会主義者、左派共和主義者、労働組合など左派諸勢力は、それまでの意見の相違を乗り越えて「人民戦線」を結成した。
1936年の総選挙は左派、右派の間で激しい争いとなったが、結局、人民戦線派が勝利を収めた。新政府は再び改革に着手するが、右派は軍隊の右派勢力と結び、すでにクーデターを準備していた。

クーデターの火の手はまず、1936年7月にスペイン領モロッコで上がった。蜂起の失敗が相次いだものの、フランシスコ・フランコ将軍はモロッコに残された反乱軍を率い、ファシズム勢力のドイツ、イタリアの協力を得てスペイン本土に上陸した。こうしてスペインは2年半に及ぶ悲惨な内戦へと突入したのである。

ドイツとイタリアは一貫してフランコの反乱軍を支援し続けた。一方、イギリス、フランスといった自由主義国は、戦乱をスペイン国内に封じ込めたいという理由で、あるいはスペイン共産党を嫌っていたために不干渉政策を選択した。共和国側を支援したのはソ連とメキシコぐらいで、その規模は限られていた。自国の不干渉政策に不満を抱いた英仏米などの知識人は義勇兵としてスペインに赴き、国際義勇軍を結成した。

内戦期のカタルーニャの左派勢力は一枚岩ではなかった。内戦遂行の方針に関し、(内戦勝利と「革命」のどちらを優先するか)意見の異なる二つの陣営があった。両陣営は激しく対立し、ついに1937年、武力衝突に至った。激しい市街戦の結果、(革命優先派の)アナキストは敗北、マルクス・レーニン主義共産党が実権を握った。

1938年4月の、カタルーニャ南部エブラ川の戦闘。この戦いに勝利を収めて地中海に達した反乱軍によって、カタルーニャは孤立させられることになった。1939年1月、バルセロナは陥落、最後に残ったマドリードも3月に無条件降伏した。こうしてフランコ軍はスペイン全土を手中にしたのだった。

・・・スペイン内戦、その激しさや訳の分からなさは、内戦と革命がごちゃ混ぜの混沌状態となった戦争の性格に由来するものだと思われます。

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2013年3月17日 (日)

カレーにジャガイモの由来

今月15日付日経新聞電子版記事「日本のカレーはなぜジャガイモを入れるのか」からメモする。

カレー研究の第一人者、カレー総合研究所の井上岳久所長によると、ジャガイモはタマネギ、ニンジンと並んで「カレー三種の神器」の1つ。明治時代から定番食材となっていたらしい。なぜ、ジャガイモが選ばれたのか。

カレーが日本に伝わったのは明治初期。英国から上陸したといわれている。実は、当初はカレーにジャガイモは使われていなかった。「英国のカレーはもともと肉を食べるためのソースだった」(井上所長)からだ。

小菅桂子著「カレーライスの誕生」(講談社)によると、1896年(明治29年)、カレーの材料として「芋」が登場する。1903年(明治36年)には雑誌に作り方が出ており、「わさびおろしですりおろす」とある。レシピには小麦粉はなく、ジャガイモでとろみを付けていたようだ。

徐々に使われ始めたジャガイモだが、まだ定番食材ではない。どうして「三種の神器」とまで呼ばれるようになったのか。

「海軍のメニューとして取り入れられたのが大きかった」。カレー総研の井上所長は歴史を振り返る。「ジャガイモとタマネギ、ニンジンは保存性があり、長期の航海にも耐えられる。これらを使った作り方が軍隊経験者を通じて全国に広まり、家庭で作るカレーの定番となった」

家庭では当たり前となったジャガイモ入りカレー。ただし好みは分かれるようだ。地域差もある。東日本では煮崩れしやすい品種「男爵」が中心だが、西日本では煮崩れしにくい「メークイン」が好まれる。カレーの種類も影響する。欧風をうたう専門店のカレーにジャガイモは入っていないことが多い。インドカレーも同様。やはりジャガイモを入れるのは日本風のようだ。

・・・やはり「海軍カレー」で、日本のカレーライスはほぼ完成されたのだな。半ば保存食でありつつ栄養のバランスも良い、日本のカレーは偉大な発明だと感じ入る。ちなみにジャガイモの好みを言えば、僕はイモをしっかり齧りたいのでメークイン派です。

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2013年3月16日 (土)

UKライブ(DVD)

先日、UKのライブDVD「リユニオン」を入手。既に昨年、国内盤が発売されていたが、何しろCD付きで正価5800円というお値段から見送っていたところ、輸入盤が半額水準で登場したので有り難く購入。

内容は2011年春の来日公演。エディ・ジョブソンとジョン・ウェットンにサポートメンバー2人、4人編成のUKの白熱する演奏が2時間にわたって繰り広げられる。特に終盤の、ワンモアレッドナイトメア~シーザーズパレスブルース~ジオンリーシングシーニーズが途切れることなく演奏されていく様は圧巻。これぞプログレッシブ・ロック!

この時自分が行ったのは、風邪をひいたウェットンの声が最悪のコンディションに陥った3日目のライブ。このDVDで自分の記憶を加工捏造するしかない。(苦笑)

既に国内盤のアマゾン・レビューにもある通り、映像のクオリティは高くない。数台のカメラの「定点観測」映像をつなぎ合わせたという感じで、かなり画質の荒い部分も入っている。だから、商品としての評価は辛い点が付くことになるのは致し方ないかなと思う。

しかし「記録」としては貴重も貴重、もう奇跡に近いんじゃないだろうか。

自分は1979年のUK来日公演を見た人間。そして近年のエイジア再結成の頃は、ウェットンさん、エイジアじゃなくてUKをやってくれよと願っていた人間。その人間が、おそらくジョブソン主導で復活したUKの2011年ライブ、さらには79年来日メンバーによる2012年のライブを目撃することができた。そんでもってDVDも出たし、もうこれ以上は有り得ない現実の展開かと・・・長生きしてるといろんな事が起こります。実感。

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2013年3月14日 (木)

デフレとインフレ、そして資本主義

本日付日経新聞「経済教室」(デフレの本質、執筆者は岩井克人教授)からメモ。

「インフレはいつでもどこでも貨幣的な現象である。それは貨幣量が生産量を上回って成長することによってのみ生じるからである」。かつてミルトン・フリードマンが声高に唱えた命題である。だがそれは誤っていた。貨幣成長率と物価上昇率の間に一義的な因果関係がないことは、多くの実証研究が示しており、貨幣数量説は既に学説史上の遺物となっている。

貨幣量の物価への影響を否定しているのではない。貨幣量の変化がインフレやデフレをもたらすとしたら、それは物価の予想に直接的に働きかけるか、個人や企業の支出行動に間接的に影響を与えて、総需要と総供給との間のギャップを拡大するか縮小しなくてはならないのである。いずれにせよ、デフレを引き起こす総需要の総供給以下への落ち込みは、生産の縮小や失業の拡大を伴い、経済を不況にしているはずである。逆にインフレを引き起こす総需要の総供給以上の膨張は、経済を好況にしているはずである。すなわち、デフレは悪、インフレは善の帰結である。

話はここで終わらない。デフレそのものが不況を悪化させ、インフレそのものが好況を促進させる。デフレは個人や企業が抱える金融負債の実質負担を重くし、インフレは軽くする効果を持つからだ。

金融は、アイデアはあるが資金のない個人や企業が、アイデアはないが資金のある個人や企業から資金を借りて投資し、アイデアを設備や組織、技術や製品の形に具体化させる役割を果たす。その意味で、負債こそ革新的なアイデアを現実の利潤へと転化する資本主義のテコにほかならない。

デフレはこの負債の実質額を年々増やしていくことになり、その予想は革新的な活動にブレーキをかける。デフレは不況を悪化させるだけでなく、資本主義を長期的停滞に導く最も確実な道である。
逆にインフレは、負債の実質額を年々軽くすることにより、好況を強めるだけでなく、その予想は革新的な活動を促進する働きをする。

だが、デフレはすべて悪であるが、インフレはすべて善ではない。それは、さらなるインフレを予想させて、インフレをさらに強めるという悪循環に転化する可能性を常に秘めている。その行き着く先であるハイパーインフレこそ、貨幣の存立構造それ自体を崩壊させる最悪の事態である。

しかし、その心配をするのはまだ早い。いまはインフレ基調の確立により総需要が刺激され、日本経済が長期にわたる停滞から解放されることを切に望むだけである。

・・・「ハイパーインフレ到来」を唱える「伝説のディーラー」氏の主張は、どうにも観念的な印象が強くて、理論家である岩井先生の方が現実的な見方をしているような感じ。

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2013年3月 9日 (土)

1458年、コンクラーベの夏

先日、書店で塩野七生の初期作品集『神の代理人』(新潮文庫)を手に取った。カバー表紙が目に付くように置かれていたのは、ローマ教皇の生前退位という御時世からか。内容はルネサンス期の4人のローマ教皇の話で、冒頭の「最後の十字軍」をぱらぱらと見た時、ピッコロミニという名前に見覚えがあった。

朝日カルチャーセンターの「神聖ローマ帝国」講義で、ピッコロミニという人物を知ったのは昨年のこと。皇帝フリードリヒ3世の参謀役を務めた後、ローマ教皇の座に就いたこの人について、塩野七生も書いていたのか(しかも40年前に)と、今さらながら、へぇ~って感じがした。

さらに検索してみると、このピッコロミニが教皇に選ばれた1458年8月のコンクラーベを映画化した作品があることを知って、ますますへぇ~って感じがした。その「ザ・コンクラーベ」(2006年カナダ・ドイツ映画、DVDタイトル「コンクラーベ 天使と悪魔」)もツヤタ宅配レンタルで取り寄せて鑑賞。

しかし塩野作品を読んだ後で、この映画のピッコロミニ枢機卿を見ると、えっ、これ?とか思う。髭もじゃで体格もデカい熊みたいな人(苦笑)。言動も熱いというか少々荒っぽい。小説では教養溢れる大知識人、外交能力にも長け、人柄も清廉潔白、外見は痩せて小柄とされているので、大違い。たぶん小説の方が史実に沿っているとは思うのだが、映画では教皇の座を争うライバル、デストゥトヴィル枢機卿の静かに威圧するようなオレ様キャラとの違いを際立たせるために脚色されている感じ。このコンクラーベでは枢機卿18人が投票して、その3分の2を集めた人が教皇になる。という訳で、お話は概ね選挙における多数派工作の模様となるから、人目を引くような派手さは無いけれど、それなりに映画的クライマックスも用意されていて、そこそこ面白かった。

で、そのクライマックスは、投票を繰り返して9対9の同数の結果が出たところで、自分が投票しなかった候補を承認する、という表明が最後の決め手になる場面。その時、若きロドリーゴ・ボルジア(後の教皇アレクサンデル6世にしてチェーザレの父親)が、デストゥトヴィルからピッコロミニ支持に転じて、あと2人が同調、新教皇が決定する。

小説ではピッコロミニ9票、デストゥトヴィル6票、白紙3票の結果が出た時に、やはりロドリーゴが自分の白紙票をピッコロミニに投じることを表明。残りの白紙票2人もロドリーゴに続いた結果、ピッコロミニが教皇として選出されて、ピオ2世を名乗ることになった。

その後の話は小説に描かれているが、教皇ピオ2世は、トルコに占領されたコンスタンティノープル奪回を目指す十字軍を起こすことを宣言。しかし最後の十字軍からも既に200年の時が過ぎ、時代は大きく変わっていた。「盟友」であるはずの皇帝フリードリヒ3世を始め、各国の王や諸侯の反応は鈍く、十字軍は実現しないまま、病身の教皇は失意のうちに世を去る。教養人で知られたピッコロミニが、教皇ピオ2世となるやいなや時代錯誤的な十字軍派遣を唱える有り様は、組織の指導者という地位が人を変えてしまう、よくある悲喜劇の一つなのかとも思う。

(ところで現代のコンクラーベは投票者数が100人を超えるそうで、これは大変ですな)

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