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2013年2月23日 (土)

キリスト教と利子、そして法人

資本主義という謎』(NHK出版新書)は、『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)の姉妹編という印象。先にキリスト教そのものについて、社会学者橋本大三郎と語り合った大澤真幸が、今度はキリスト教社会から生まれた「ふしぎな資本主義」について、歴史的視野を持つエコノミスト水野和夫と語る。本書第1章「なぜ資本主義は普遍化したのか?」からメモする。

水野:16世紀にイタリアのジェノバで、金利2%を下回る時代が11年続きました。この時期を通常歴史学者は「利子率革命」と言っています。この利子率革命が何を意味するかというと、超低金利のもとで投資機会がもはやないということです。利子率革命は、「長い16世紀」(15世紀後半から17世紀前半まで)を通じて中世の荘園制・封建制社会から近代資本主義・主権国家へとシステムを一変させた。中世社会の飽和状態を打ち破る新たなシステムとして、近代の資本主義と国民国家が登場したのです。

大澤:ヨーロッパの中世においては、利子というのは相当悪い物ですよね。

水野:禁止されていますね。ところが、12世紀を通じて貨幣経済が社会生活全般に浸透してくる。資本家が登場し、貨幣流通が大規模に拡張し、金融が発達し始めます。イタリアのメディチ家のような「銀行」は外貨に金利をこっそり上乗せするなどしていました。結局中世後期になって、建前として「不当に高い」利息を禁止することで、事実上現実を追認せざるをえず、金利を受け取ることが正当化されたのです。

大澤:利子が、スキャンダラスなものから、正当な報酬へと転換したのはいつかと言うと、それこそ、まさに「長い16世紀」なのです。そして、利子というものを徴収するのが当たり前になっているかどうかが、資本主義の成立の指標だとすれば、まさにこのとき資本主義は成立している。

水野:利子が晴れて天下国家公認のものとなる時点を重視すれば、時間が神のものだという中世の概念が宗教改革で打破された「長い16世紀」が資本主義の成立期だと言えます。

大澤:キリスト教と資本主義の結びつきをより深く考えるために、会社=法人という制度が、ヨーロッパから生まれてきたのはなぜか、という点を考えてみたい。イスラム法は、法人という概念をまったく認めることができないのです。法人というものの本質とは何かというと、永続性です。ここがイスラムにとっては躓きの石となる。神は永続します。しかし、神以外の被造物は、すべて刹那的な存在だというのが、イスラムの考えです。
キリスト教とイスラムの最大の違いは、まさにキリストにある。キリスト教には、教会はキリストの身体である、という考え方があるのです。パウロに由来するものです。キリスト教徒の観点では、教会とは結局、人類共同体のことです。すると、どうですか。キリストというのは個人でありかつ集合である。個人でありつつ類であり、特殊でありつつ普遍である、という二重性がある。よく考えてみると、これこそ、法人の原型ではないですか。集団に、個人と同じ主体性・人格性を認めるのが法人ですから。
法人は、資本主義には絶対に不可欠です。資本というものは、無限に循環しないといけませんよね。資本が途中で消費され尽くさずに循環し続けるためには、資本が、個人以外の何かに、つまり法人に所属している、という感覚が不可欠だと思うのです。

・・・ヨーロッパ・キリスト教社会における利子と法人の全面展開が、資本主義を世界規模に拡大させた。「資本主義という謎」の核心には、やはり「ふしぎなキリスト教」がある。

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