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2013年2月 8日 (金)

「がん放置」という「反医療」

近藤誠先生のがん治療についての考え方を、『医者に殺されない47の心得』(アスコム)からメモする。

日本人の3分の1はがんで亡くなりますが、実は、がんほどまぎらわしく、誤診の多い病気はありません。細胞の顔つきはがんであっても、粘膜の中にとどまって浸潤も転移もしない「潜在がん」「がんもどき」がとても多いので、きちんと検査しても誤診が起きる。検診で症状もないのにがんが見つかると「早めに切除すればほぼ100%治る」と医者が言いますが、それは「がんもどき」で、切らなくても何の問題もありません。

がん死はまったく減っていません。なぜなのか。検診が、何の役にも立っていないからです。詳しく検査するほど、最新鋭機を使うほど、がんはいくらでも見つかります。しかし、そのほとんどは「もどき」で、手術などの治療は体を痛めるだけです。

がん手術の問題点として「がんは切除できても(つまり手術は成功しても)、術後の障害で死亡するリスクが非常に高い」ということもあります。

抗がん剤は、猛毒です。抗がん剤が「効く」というのは、単に「がんのしこりを一時的に小さくする」という意味です。つまり「効く」というのは、治すとか延命につながるという話ではないんです。

僕は30年間、「どうしたら、がん患者さんが最も苦しまず、最も長生きできるか」という観点から、無理や矛盾のない診療方針を考え抜きました。そして「がん放置療法」に到達しました。「がんもどき」なら転移の心配はなく、「本物のがん」なら治療をしてもしなくても死亡率に差がなく、延命期間も同じ。ならば、そのがんによる痛みや機能障害が出たときに初めて、痛み止めや放射線治療、場合によっては外科手術をすればいい。

医療が発達するとともに、自然死や老衰死を身の回りで見なくなって、忘れられてしまった。代わりに、医療による悲惨ながん死のことばかり見聞きするようになった。がんで自然に死ぬのは、すごくラク。検診などで無理やりがんを見つけ出さず、もし見つかっても治療しなければ、逆に長生きできる。

安らかに逝くとは「自然に死ねる」ということだと、僕は考えています。

・・・勘三郎もまさに「手術は成功したが患者は死んだ」という実例になってしまったように、がんよりもがん治療が怖い。医者も多かれ少なかれ変だ。自分は、20年前がんで母親が死んだ時、担当医に「(抗がん剤治療は)腫瘍の進行を止めた可能性はありますね!」と主張されて呆然とした。そして最近、自分も手術入院を経験したが、なるほど医者は彼らの手術や治療をやり遂げることに責任を持つのであって、その結果患者が治っても治らなくても知ったこっちゃないんだなと、改めて理解した。要するに医者は患者の味方ではない。病院に行く時は、そのことをよくよく念頭に置く必要がある。

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