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2013年1月 3日 (木)

スペイン、「ハポン」さんの町

昨日の午前に、NHKで「サムライたちスペインへ渡る~慶長遣欧使節400年の謎」という番組をやっていたので見た。

慶長遣欧使節とは、今からちょうど400年前に、伊達政宗がスペインに派遣した使節。政宗はスペインとの直接交易を望んでいたとのことだが、実は使節出発の2年前に三陸地方が大津波に襲われて被害が出ていたことから、復興事業の一環として交易の実現を目指したのではないか、というのが番組の中で示されていた仮説。

政宗の仙台藩は自前で全長50メートルの大型船を建造。慶長18年(1613)9月15日、団長の支倉常長、宣教師ソテロ以下、日本人140人が乗り込んだ「サン・ファン・バウティスタ」号は石巻の港を出発。太平洋を横断し、3ヵ月後にメキシコに到着した。そこから半年後に30人程がスペイン艦隊の船に乗り、大西洋を渡る。スペインのセビリアに着いたのは、日本を出発してから1年後のことだった。

1614年12月、使節団一行は首都マドリードに到着。支倉常長は直接、スペイン国王フェリペ3世に交易を願い出る。その後常長はキリスト教に改宗。ローマ教皇パウロ5世にも謁見を果たすなど、交易実現のため懸命に努力したが、結局は国王からの承認を得られないまま、1620年に帰国する。

慶長使節は天正少年使節に続く、日本人のヨーロッパ訪問という一大プロジェクトであり、これがあるから伊達政宗は偉大だったと評価しても良いくらいなんだけど、どうも教科書的に扱いが小さいのは、時代がキリスト教の禁止、さらに鎖国に向かう中で、その後の国際交流の展開に繋がらなかったせいなんだろうか。

番組の中で、へぇ~って感じだったのは、セビリアに近いコリア・デル・リオの町。人口2万4000人のこの町には、スペイン語で「日本」を意味する「ハポン」さんが約650人いる。伝えられるところでは、常長の使節団のうち10人が帰国することなく、この町に残った。それが「ハポン」の名前の由来と考えられるという。遠い昔の遠い国との国際交流の痕跡が今も残っていることに、ちょっと不思議な思いに捉われた。

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