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2013年1月14日 (月)

反ユダヤ主義の歴史

「ユダヤ人とイスラエル」がわかれば「世界の仕組み」が見えてくる』(宮田律・著、ワニブックスPLUS新書)の第三章「反ユダヤ・嫌ユダヤの思想――反セム主義の系譜」からメモする。

反セム主義(一般にはひろく反ユダヤ主義の意味で用いられ、またとくに近代反ユダヤ主義をさすことも多い)は、ユダヤ人が、パレスチナから追放されて、外の世界に移住していった時から始まった。 

ユダヤ教が持つ「選民思想」が、ユダヤ人迫害の一つの大きな背景になってきたことは間違いない。紀元前63年にローマの軍司令官であるポンペイ・ザ・グレートがエルサレムを占領すると、ユダヤ教を否定し、ローマの神々を信仰するように強制した。ローマ人は抵抗するユダヤ人をパレスチナから追放し、およそ100年間にわたってエルサレムを支配し続けた。 

ナザレのジーザスとその支持者はユダヤ教を否定し、キリスト教が誕生することとなった。多くのクリスチャンは、ユダヤ人がキリストに死をもたらしたと考えるようになった。キリスト教の理論家であるパウロは、ユダヤ人が主イエスを殺害したと訴えた。そして、キリスト教がローマ帝国の公式の宗教(国教)に採用されて以来、反ユダヤ感情は深刻なものになっていく。 

ユダヤ人は、キリスト教の信仰を頑なに拒み、そのためクリスチャンの側は、ユダヤ人を異端、あるいは不敬虔ともみなすようになった。4世紀のアウグスティヌスから16世紀のマルティン・ルターまでのキリスト教の主要な神学者たちも、ユダヤ人を神への反乱者、またキリストの殺人者と表現するようになった。 

1096年に最初の十字軍が組織された時、組織的な反セム主義の行動が現れることになる。中世ヨーロッパにおいてユダヤ人は市民として認められず、時の経過とともに、多くのユダヤ人は中央ヨーロッパから追われ、ポーランドやロシアに住み着いていった。 (後の19世紀に当地でポグロム発生)

中世後期になるとヨーロッパで商業が盛んになり、ユダヤ人のなかには貿易、金融、金貸しなどで成功を収める者も現れ始めた。しかしそのことがクリスチャンの側のさらなる反発を招いた。ユダヤ人の経済的成功に対する妬みと従来の宗教的偏見が結びついて憎悪が増幅されたのだ。 

啓蒙時代を経るとヨーロッパ社会はより世俗的になり、ユダヤ人はヨーロッパ社会に統合されていった。しかし、他方で反セム主義の政治的形態も現れるようになっていく。さらに19世紀になると、似非科学者たちが、ユダヤ人に関する人種論をもちだしてくる。 

ヨーロッパにおける反セム主義が頂点に達したのは、よく知られている通り、アドルフ・ヒトラーのナチス政権下でのことであった。ヒトラーは『わが闘争』の中でユダヤ人を邪な人種としてとらえ、ナチスの反ユダヤ主義は、ヨーロッパに旧来あった反セム主義という宗教的な偏見に、人種的な蔑視を加えていった。ナチスはユダヤ人を宗教集団ではなく人種としてとらえたのだ。ナチスの政治的で人種的な反ユダヤ主義の究極的目的は「絶滅」であった。アウシュヴィッツなどの絶滅収容所で600万人とも見積もられるユダヤ人が虐殺された。

・・・宗教的反感から社会的差別、さらには政治的イズムに至り、最終的にナチス・ドイツによる大虐殺に逢着したヨーロッパのユダヤ人迫害の歴史は、まさにキリスト教世界の暗黒面というほかない。日本人にはさっぱり分からないよ。

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