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2012年12月 1日 (土)

グローバル近代とキリスト教

やっぱりふしぎなキリスト教』(大澤真幸、橋爪大三郎、大貫隆、高橋源一郎・著、左右社)の内容は、今年3月に行われた同タイトルのシンポジウム及び昨年8月書店主催のトークイベントの記録を中心に構成されている。両イベントに参加した自分は、やっぱり買うしかないでしょう。ということで、同書の大澤発言から以下にメモ。

キリスト教由来の文明がグローバルスタンダード化しています。これはなぜか、ということに関して、二つの典型的な説明がありうるかと思います。 

たとえばWindowsが、コンピュータの世界で、ほとんどデファクトスタンダードになっている。それは、Windowsが、OSとして素晴らしかったからではありません。Windowsが覇権を握ったのは、マイクロソフトが商売上手だったからです。キリスト教についても同じように考えることもできる。キリスト教や聖書がすばらしくて、キリスト教が浸透したのではなく、キリスト教徒がたまたま戦争が上手だったからではないか。 

他方で、これとは逆に、キリスト教由来のアイデアが、世界を席巻していることには、キリスト教に内在する理由があるのではないか、そのように考えることもできます。つまり、キリスト教に人間をインヴォルヴする魅力があった、という可能性もあるわけです。ただし、念のために付け加えておきますが、この「魅力」というのは、キリスト教の教義や神学が理論的に優れている、ということとは関係がありません。
ともあれ、この両極の二つの説明法がありうるわけです。

・・・キリスト教そのものの善し悪しは別にして、キリスト教拡大の理由としては、やっぱりローマ帝国の宗教になっちゃったことが大きいんじゃないかと感じる。そして(西)ローマ帝国は滅亡後も、ヨーロッパのゲルマン民族国家に対して、ブランドまたはトラウマとして作用し続けたことを思えば、キリスト教にも「帝国の宗教」というオーラがあったんじゃないかと想像するんだけど、どうでしょうかね。

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