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2012年12月16日 (日)

レインボー初来日から36年

「レインボー・オン・ステージ」のデラックス・エディションを輸入盤で聴いた。従来の「オン・ステージ」(ライブ音源は日本とヨーロッパ)に、1976年初来日時の音源だけで構成したボーナス盤を付けた2枚組。CDジャケットには大阪のライブとクレジットされているが、ネット上のレビューを拝見すると、東京・武道館のライブとのこと。最初、大阪と聞いて思い出したのは、来日公演終了後に、FM放送でさわりだけ紹介されたレインボーのライブ。これが大阪の音源で、リッチー・ブラックモアが即興で弾いた「パープル・ヘイズ」の荒々しいリフが印象に残っていただけに、ちょっと残念。もちろんブートでも聴けるんでしょうけど、個人的にはブートを買う気までは無いしなあ。

で、1976年12月16日武道館公演は、高校生だった僕も友だち数人と行った。初めてのロック・コンサート体験。当時の切符を見るとB席2500円とある。LP1枚と同じ値段なので意外と安い。もちろん高校生にはかなりの大金だけど。席は2階のかなり上の方で、しかもステージの殆ど真横だったから、僕たちは結局2階の正面に移動して、ライブの間は遥か遠方のステージをずっと立ち見していた。

オープニングはキルザキング。といっても新曲だったので、何の曲をやってるのか全く分からなかったけど。ミストゥリーテッドは意外だった。ディープパープルの曲も何かやるかなとは思っていたけど。しかし今でも、ロニー・ジェイムス・ディオの声はミストゥリーテッドには合わない気がする。銀嶺の覇者に入る時にレイジーを弾くとか、曲間にブルースを挿入するとか、当時のリッチーのライブならではの展開はカッコ良かった、としか言いようがない。

開演前の待ち時間、何処かの誰かの声が聞こえてきた。「去年ここでディープパープルやったんだよな。バーンやったぜ。しらけたバーンだったな」。そう、その一年前の1975年12月、第4期ディープパープルが来日していた。リッチーに代わったトミー・ボーリンの左手の故障で最悪との伝説が残るライブ。自分も後に発売されたライブ盤を聴いて「なるほどしらけたバーンだ」と思った。

当時の出来事を時系列で並べると、1975年春、リッチーがディープパープルを脱退、同年12月ディープパープル来日、翌1976年夏ディープパープル解散、同年12月トミー・ボーリン25歳で死去、そしてレインボー来日。ロックを聴き始めた僕にとって大事件ばかり起きた、ドラマチックな展開の時期だった。

あれから36年。と、ひと口に言ってしまうのだが、長い年月には違いない。実際にロニーとコージー・パウエルは既に故人。改めていろいろ思い出してみないと、感慨と言えるほどの感慨が出てこない。長い時間が経つ、というのはそういうことらしい。

今年はUKが再来日した。年末には2007年レッド・ツェッペリン再結成ライブ商品が発売された。何だかんだと70年代ティーンエイジャーの古い記憶が呼び起こされる訳ですが・・・もう音楽自体にはそれ程熱心ではないけれど、それでもブリティッシュ・ハードロックとプログレッシブロックは、今でも僕にとって音楽の最上級に位置している。

36年という長い長い年月を経ても、基本的にあんまり変わらない自分の音楽の嗜好・・・特にどうこう言う気もなくて、まあ、こんなもんなんでしょうね。

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