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2012年11月10日 (土)

ライプニッツ!

このブログの「モナド日記」という題名は何となく付けただけで、ライプニッツが大好きだとかモナドロジーを良く理解している、ということは全くない。(苦笑)

最近復刊された『ヨーロッパ精神史入門』(坂部恵・著、岩波書店)の中で、ライプニッツは、「千年単位の天才」と破格の評価を受けている。「盛期のスコラ哲学の思考に立ち返り、その精神を継承しようとしている」彼の哲学は、「『近代』をまるごと相対化する深さをそなえている」とのこと。同書から、ライプニッツの「個体」「力」「表出」についてメモする。 

ライプニッツの個体把握の独自性は、彼が、それを盛期スコラの個体把握をめぐる議論、とりわけドゥンス・スコトゥスのそれと結びつけて、その延長上であらためての展開をはかったことにあります。 

ライプニッツ流の個体把握では、そもそも個と普遍が分断されていないので、個と普遍のかね合いのありかたについて、さまざまな形の多元論的な思考が可能となる。 

完結した小宇宙という個体概念と、「このもの性」にきわまる盛期スコラの「実体形相」の概念を重ねるところに、あらたな焦点を結んだこの個体把握。 

ライプニッツが考えていた「力」は、たしかに形而上学的原理ではありましたが、曖昧で神秘的なところなどすこしもなく、現象(の変化)を生み出しあるいは生成する原動力あるいは原理を意味する以外の何ものでもなく、ある種の現象については数学的に定式化することが可能なものでした。 

ライプニッツのいう「表出」とは、「表出するもの」と「表出されるもの」の間に両者をともに生成する一般規則が書けるような関係があることを意味する。ライプニッツが実体は「力」であるというとき、このような生成規則による諸現象の生成を考えていたとおもわれます。アリストテレス以来の「形相」の概念をも、ライプニッツは、間違いなくこうした生成規則と重ね合わせて理解していました

・・・「力」といえば、ハイデガーは、ニーチェの「力への意志」とライプニッツの「モナドロジー」を重ね合わせて読もうとしていたとか、アリストテレスとライプニッツとニーチェの中に西欧形而上学克服の試みを見出そうとしていたとか、そんなことが『ハイデガー拾い読み』(木田元・著、新潮文庫)に書いてあるけど、何かライプニッツって凄い人に思えてきた。(苦笑)

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