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2012年11月 4日 (日)

医者は患者の味方ではない

たまたま旅先で買った週刊誌「サンデー毎日」(11/11号)のある連載エッセイを読んで、共感するものがあった。同誌「牧太郎の青い空白い雲」からメモする。

病気のデパートのような当方、月に2度、3度と大学病院に通っているが、お医者さんが(悪意ではないが)「凶器の言葉」を弄んでいる。
何気ない医師の言葉が、患者を叩きのめし、病気を悪化させ、死に近づけている。
同じ言葉でも、医師から言われるのと、他の人間から言われるのとでは大違い。医師は「凶器の言葉」の近くにいる。
それに、ヤブ医者(今の若い医師)は気づかない。
ヤブ医者が吐いた「凶器の言葉」を列挙しよう。

「年齢だから致し方ない」
「僕にどうしろっていうんですか?」と言う医師に、患者は何も言えず、立ち往生する。
「忙しいから、もうこれでいいですか」と言われたり「専門外なので」と突き放される。
「気に入らなければ他の病院に行ってもいいんですよ」
「医者に教える気か!」
「精神科で診てもらったらどうですか」
 

いつでも、「言葉」は命取りだ。

・・・自分の経験からも、医者は鈍感というか、得体が知れないというか、人格が歪んでいるというか、良い印象を持つことは殆ど無い。最近改めて痛感したのは、医者は患者の味方でも何でもない、ってこと。彼らの責任は、やると決めた手術や治療を大過なくやりとげることで、その結果病気が治ろうが治るまいが、患者が生きようが死のうが、知ったことではないのだ、極端に言えば。とにかく、あらゆる意味で医者とは関わりを持たない方が良い・・・んだけど、なかなかそうもいかないので困る。はあ。

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