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2012年10月 7日 (日)

トレドとシチリアを結ぶ翻訳者

中世トレドとシチリアを結ぶ翻訳者の存在について、『寛容の文化』(名古屋大学出版会、2005)からメモする。

マイケル・スコットは皇帝お気に入りの側近のひとりであり、それにはそれ相応の理由があった。医者、占星術師、降霊師、アラビア語およびヘブライ語テクストの翻訳家、彼はまさに、フリードリヒ二世――シチリア国王、神聖ローマ皇帝、イェルサレム国王――が自身の文化的野心や使命を具現化すべく、そのそばにおきたがった知識人の典型であった。 

その名前が想起させるように、マイケルはスコットランド生まれだったが、青年のころに生地を離れ、世紀の知の中心トレドの翻訳学派で揉まれた人物だった。1220年代、残りの人生を過ごすことになるシチリアに到着したときには、彼はすでに魔術師としての評判を博していたが、フリードリヒの宮廷で彼を魅惑の人物にしたのは何かといえば、彼が13世紀初頭を通じて翻訳家として活躍したという名声であった。科学・哲学関連の膨大な書物をアラビア語からラテン語に翻訳することは、その時代の知がめざす最大の目標であった。スコットは、フリードリヒという気前のよいパトロンを見つけることができた。 

彼はトレドからシチリアに、自信に満ちた堂々たる態度、最先端の翻訳作業に従事した経験の日々、そしてギリシア哲学の伝統的な作品群を読み、翻訳することから自然に湧き出てくる合理的な知の文化への興趣(フリードリヒはおそらくある程度それを持ち合わせていた)をもちこんだ。トレドからやって来たこの人物は、さまざまなテクストを文化的福音としてアラビア語から翻訳するというフリードリヒの壮大な努力において直接にも間接にもその中枢を担ったのであった。

・・・アラビア語で書かれた当時の最先端の知識を貪欲に吸収しようとする皇帝フリードリヒにとって、スコットの能力と経験は絶対に欠かせないものだったと思われる。

ところで、自分にとってフリードリヒ二世とカール五世は神聖ローマ帝国の2大アイドル。同書には、この二人の「つながり」について書かれた箇所もあるのでメモ。

フェルナンドとイサベルの孫カルロス一世は、敬虔な祖母と同じように、旧来のアラブ様式の魅力を解さなかったわけではない。1519年に神聖ローマ皇帝に即位するとき、カルロスはかつての皇帝フリードリヒ二世のガウン、フリードリヒがまことに愛したイスラーム風の外衣、さらにはアラビア語の刺繍された大きな折り返しをもつケープを身にまとって戴冠儀礼にのぞんだのである。

・・・300年の時を超えて、フリードリヒ二世とカール五世に「つながり」があったというのだから、個人的にはとってもコーフンしちゃいます。

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