ジョン・ロードの死去
今月出た雑誌「BURRN!」を見て初めて、ジョン・ロードが死去していたことを知った。7月16日永眠、享年71歳。
ディープ・パープルのメンバーを初めとするミュージシャンの追悼の言葉にもあるように、ジョン・ロードはまさにロック界の「紳士」というほかない人物だったようだ。
彼の人柄を直接知るよしもない僕らも、例えばカリフォルニア・ジャムやBBCライブで、第3期ディープ・パープルの新メンバー紹介をする彼の声や話し方の穏やかな調子から、その紳士ぶりは充分窺えたのではないかと思う。礼儀正しい中にもユーモアと茶目っ気を見せる大人の男、ジョン・ロード。
そしてもちろん何よりもそのオルガン・プレイ自体が、彼の広く深い豊かな音楽性と人間性を示していたことは、誰も疑わないだろう。何しろハモンド・オルガンのサウンドといえば、条件反射的にジョン・ロードを思い出すほど、その独自性に溢れたプレイは他を圧倒するものだった。
ディープ・パープルは第2期以降、リッチー・ブラックモアのギターが主導するハード・ロック・バンドへと変貌を遂げたが、ジョン・ロードのオルガンが大いに存在感を保っていたことにより、ただのハード・ロックではない、いわばプログレッシブな味付けがなされていたことは確かだ。
ディープ・パープル再結成後の最初の来日(1985年)、その公演パンフの中に記されたジョンの言葉によれば、「私はリッチーから教わったようなものだ。私はずっと彼のプレイに照準を合わせ、いかにキーボードで色を添えるかを考えて、自分のスタイルを作り上げた」ということである。
再結成時、リッチーもまた、「おいジョン、君のプレイがまた聴けて嬉しいよ。俺が何年もレインボーでこんなオルガンのサウンドを出す奴を探していたの知ってたろ」、と告げたそうだ。バンド・メンバーにハイレベルの能力及び人格を求めるリッチーにとっても、ジョンは最良のキーボード・プレイヤーだったのだろう。
いずれにしても、自分がティーン・エイジャーの頃のヒーローが、この世を去っていく時期に入ってきたようだ。向こう10年位は、さびしいニュースを聞く機会が増えるんだろうか。
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