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2012年8月 8日 (水)

「大伴昌司の大図解」に思う

先日、「大伴昌司の大図解展」(東京都文京区の弥生美術館、9/30まで)を見た。タイトルの通り、少年マガジン大図解に代表される大伴昌司の仕事の全貌に接することのできる展覧会。自分のようにリアルタイムで「大図解」の世界に遭遇していた者には、その価値とパワーを再認識する機会になった。

ビジュアル・ジャーナリズムの先駆者・大伴昌司、その仕事は今見ても全く古びていない、と言いたいところだが、しかしさすがに40年以上も経ってみると、時代の刻印がありありと感じられる内容であるのは是非も無い。

例えば大図解の「情報社会」は、大伴の時代を超えた先見性を如実に示す仕事であることは間違いないが、その一方で、あの時代ほど未来に対して過剰な関心を向けた時代も無かったような気がする(・・・今の子供は「僕たちの未来」とか考えたりするんだろうか。よく分からんけど)。時が経ってみると、1970年前後は、未来を考えることで時代を超えようとする、そんな時代だったんだなあという感じ。

個人的には大図解の中で印象に残っているのは歴史の話。最近も「魔女入門」が、岩波新書『魔女狩り』の大伴ビジュアル的な整理展開だったことを認識して、とっても感心してしまった。あるいは映画「トラトラトラ!」の戦艦長門の実物大セット(浜辺つまり陸上に作られていた)が興味深かったり、東京大空襲の犠牲者の写真がややトラウマ気味だったりした記憶がある。あの頃の小学生にとって、少年マガジンは教養書以外の何物でも無かった。

展覧会のカタログ代わりにもなっている『大伴昌司「大図解」画報』(河出書房新社)を参照しながら、大図解のテーマを書き出してみると、怪獣、妖怪、モンスター、魔界秘境、SF、UFO、第3次世界大戦(世界の終末)、「007」、「2001年宇宙の旅」、「サンダーバード」、万博など、やっぱり1970年前後という時代を感じさせるものであり、どうやら大伴の仕事も歴史の中に収まったのかな、という感じはある。

ただテーマは過去を感じるものになったとはいえ、大伴の図解という方法論の持つ意義が低下したという印象はない。大伴の図解は、その対象が想像物だろうが、歴史的事実も含めた現存の事物だろうが、そのリアリティを一層明確にする形で提示する。そこには、大伴のハイテンションな探究的姿勢がある。この点において、今も昔も大伴と同等以上の仕事をしている才能は稀なのではないか。

付け加えると、「ウルトラマン」の文脈で大伴昌司(1936-1973)を語れば、金城哲夫(脚本家、1938-1976)も思い出すことになる。共に30歳代後半で急逝した「ウルトラ」の二つの流れ星、大伴と金城。二人の天才の影響を無意識に受けて、僕たちは育った。あの時代のニッポンの子供で良かったと、あらためて思うのだ。

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