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2012年8月28日 (火)

民主主義は、めんどくさい。

湯浅誠は提言する。異なる意見を調整して合意形成する民主主義は、おそろしく面倒くさいものである。その事実を直視することから始めよう、と。『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日新聞出版)から、メモする。

「強いリーダーシップ」待望論、「決断できる政治」への期待感。これは一言でいうと、利害調整の拒否という心性を表しています。 

誰に対しても、意見交換や調整を頭から拒否すべきではない。地味だけれども、調整して、よりよい社会をつくっていくという粘り強さをもつ人たちが必要です。そういう人をたくさん増やすこと、自分たち自身がそういう人になることが重要だと思っています。 

私は、最近、こう考えるようになりました。民主主義の深まり具合は、時間と空間をそのためにどれくらい確保できるか、というきわめて即物的なことに比例するのではないか。
時間と空間の問題は、言い換えれば参加の問題です。
空間づくりが場づくりです。人と人が出会う場、関係のないところに関係をつくる場、人と人との関係を結び直す場づくりというのは、面倒くさいものです。その面倒くささは、民主主義の面倒くささに通じます。 

「人と人を結びつける」「人と人との関係を結び直す」「一からコミュニティをつくる」のはどういうことで、そのためには何をすればいいのかというノウハウの蓄積が、日本には乏しい。
その事実と向き合い、その事実を受容して、その改善に具体的に取り組むこと。

従来の血縁、地縁、社縁も活用しながら、かつそれだけに閉じこもることなく、他との交流を多様に進めていく必要があります。そのときに必要になるのが「人と人を結びつける」工夫と仕掛けです。

より多くの人たちが相手との接点を見出すことに注力する社会では、自分たちで調整し、納得し、合意形成に至ることが、何よりも自分たちの力量の表れと認識されるようになります。
難しい課題に突き当たるほど、人々はその難しさを乗り越える工夫と仕掛けの開発に熱意を燃やし、それを楽しく感じます。 

ヒーローを待っていても、世界は変わらない。ヒーローは私たち。なぜなら私たちが主権者だから。私たちにできることはたくさんあります。それをやりましょう。

・・・あらゆる場所で人々が交流しお互いの接点を見出そうとする意思が、民主主義の基礎になる。のだろう。

それはそれとして、自身の兄が障害者であるとか、母親から「ホームレスなんかにかぶれている」と心配されたとか、そんな著者の身辺事情?を、この本で知るのも、ちょっと面白かったりする。

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2012年8月27日 (月)

「われわれ」の再構築

社会を変えるには』(小熊英二・著、講談社現代新書)は、500ページという重量級の新書。その第4~7章から、無理矢理要点を絞って以下にメモする。

現代の「代議制民主主義」において、「われわれの代表」を選ぶという行為は、人々を納得させる力を失いつつあります。なぜなら、近代化が進んで人々が「自由」になり、階級意識や地域への帰属意識が無くなり、「われわれの代表」の「われわれ」も無くなってきたからです。代議制の自由民主主義への不満が高まったとき、デモや社会運動や国民投票をはじめとした直接民主主義で補ってやらないと、人々が納得しないのは当然です。

現代思想に大きな影響を与えた現象学。それを取り入れた社会学の考え方が重視するのは、自分も世界も相手も、作り作られるものであり、それがどのように構築されるかということ。この作り作られる関係のことを「再帰性」という。

ギデンズが説く「再帰的近代化」。それは、すべてが再帰的になる、つまり作り作られる度合いが高まり、安定性を無くしていく近代化のかたちです。人々が「自由」になり、選択可能性が増大すると、再帰性は飛躍的に増大する。再帰性の増大には、再帰的に対処するしかない。具体的には対話の促進。対話によってお互いが変化し、関係そのものを変えて、新しい「われわれ」を作る。

旧来の「われわれ」に基づいた政治が、人々が「自由」になるなかで崩れているのであれば、新しい「われわれ」を作るように努力する。公開と対話によって人々の参加を促し、そのための場を作って決定権を持たせ、エンパワーメントするのが、政府や専門家の役割です。

貨幣経済が浸透し、ポスト工業化社会へ移行し、再帰性が増大した社会。そのなかで、みんなが共通して抱いている、「自分はないがしろにされている」という感覚を足場に、動きをおこす。そこから対話と参加を促し、社会構造を変え、「われわれ」を作る動きにつなげていく。

運動のおもしろさは、自分たちで「作っていく」ことにあります。楽しいこと、盛りあがることも、けっこう重要です。盛りあがるというのは、「みんな」や「われわれ」を作るということなのです。動くこと、活動すること、他人とともに「社会を作る」ことは、楽しいことです。社会を変えるには、あなたが変わること。あなたが変わるには、あなたが動くこと。

・・・いつでもどこでも「われわれ」を立ち上げようとする意思が、社会を変える力になる。のだろう。

で、小熊先生は良くも悪くも研究者、理論家だよな、という感じです。啓発される指摘も多いのですが、やっぱり少しカンネン的かなとか思います。

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2012年8月26日 (日)

デカルトの理性、数学、神

戦争の続く混沌とした時代の中で、確実なものを求めたデカルトの哲学は、近代思想の出発点となった。『社会を変えるには』(小熊英二・著、講談社現代新書)「第5章 近代自由民主主義とその限界」からメモする。

ルネサンスから17世紀までは、ヨーロッパは戦乱につぐ戦乱、宗教戦争と革命の時代になりました。それまでの秩序がめちゃくちゃになった時代です。もう何も信じられない、信じられるのは自分の目だけだ。ここから近代思想が始まりました。その根幹が、近代的理性という考え方です。有名な「われ思う、ゆえにわれあり」という言葉を遺した、デカルトがその元祖といわれます。 

まずデカルトは、感覚でつかめるものはあてにならない、と考えます。神こそが実在であって、この世に現れているものは、神が吹き込んだ恩寵によって存在しているだけだ、というわけです。ですから、「私が存在する」ということは、恩寵を与えてこの世に存在させた神が実在するはずだ、ということになります。 

じゃあ中世と変わらないじゃないか、となりますが、ここからが画期的でした。そこで彼が見出したものが、数学でした。数式や幾何学の解釈は唯一無二です。感覚に惑わされることもなく、文化や宗派もこえていて、永遠に揺らぐことがありません。 

では数学は、なぜ唯一無二の確信を、誰にでも与えてくれるのでしょうか。デカルトは『方法序説』で、神が創ったこの世の秩序の法則の観念を、神がわれわれの精神のうちにしっかりと刻みつけているからだ、と書いています。これは基本的にプラトンのイデアの考え方と同じです。

こうして世界を把握するのが、理性です。もちろんその理性は誰が与えたのかといえば、神です。だから私が理性を行使してこの世を把握しているということは、神とつながっているのと同じである。それによって揺らぐことのない確信を得ることができるのですから、「私は存在する」ということになるわけです。

・・・デカルトは17世紀前半の三十年戦争の時代を生きた。戦争終結と共に主権国家体制が確立した時代の中で、デカルトは主観的理性の哲学を打ち立てた。ということで、哲学も時代背景抜きには考えられない。

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2012年8月23日 (木)

宗教改革という「再形成化」

西洋史において「宗教改革」という出来事は、どのような意味を持っていたのか。『マルティン・ルター ことばに生きた改革者』(徳善義和・著、岩波新書)からメモする。

英語でもドイツ語でも、宗教改革はReformation(リフォーメイション)と呼ばれる。どちらも冠詞がつかず、大文字のRで始めるのは、この出来事に他の何にも代え難い、特別な意味を認めているためであろう。 

リフォーメイションを日本語にするならば、「再形成化」という言葉がふさわしいのではないか。したがって、大文字で始まるReformationは、次のような意味になる。すなわち、それまでキリスト教的一体世界であった西欧が、ルターの始めた運動をきっかけにして細分化し、キリスト教世界であることに変わりはないものの、従来のあり方とは全く別の、多様なキリスト教世界に再形成された、ということである。 

もっと「広い意味」での宗教改革も考えられる。つまり、それまで歴史の底流をなしていた様々な変革の波が、宗教改革をきっかけに合流し、歴史の大きなうねりとなり、西欧社会の全体を巻き込んで、従来と比べて新しい世界、すなわち近代世界を出現させたということである。 

14世紀に始まるルネサンスから、文学や美術、学問の分野で教会からの自立が芽ばえた。さらに宗教改革によって、人間の生の様々な領域で広く脱キリスト教化が進んでいった。絵画や音楽の制作はその好例であろう。
宗教改革は、神聖ローマ皇帝の座がカール5世に引き継がれた時期に始まる。皇帝カール5世は、フランスやオスマン帝国との戦争に明け暮れていたため、ドイツの支配統治における主要な決定は帝国議会に委ねられた。結果、それがルターに宗教改革拡張の好機を与えてしまうことになる。
一方、16世紀初頭は、ヨーロッパにとってもドイツにとっても経済構造の変動期であった。大きくいえば、土地に根ざした農業中心の社会が、貨幣経済にもとづく社会に変化しようとしていた時期である。
 

以上のような社会の様々な方面における変革の波が、やがて宗教改革という大きな歴史のうねりとなって一つに収斂していくのである。

・・・ルターの100年以上前に教会改革を訴えたウィクリフやフスは、異端者として処刑される等の恐ろしく不名誉な扱いを受けた。ルターが処刑されることもなく、聖書のドイツ語訳などの業績を残せたのは、時代が変わっていたからだとしか言いようがない。つまり時代がルターを求めていた。という感じで、16世紀ドイツは面白いのです。

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2012年8月19日 (日)

『おもかげ復元師』

17日夜のNHKで「復元納棺師」さんの番組を見た翌日、書店に行くとその納棺師、笹原留似子さんの著書2冊が山積みになっていたので、まず絵本を開いて立ち読み開始。涙が本に落ちないように気をつけながら読了(苦笑)。で、もう一冊のエッセイ『おもかげ復元師』(ポプラ社)を購入。

映画「おくりびと」で知られるようになった納棺師という職業。亡くなった方の遺体を清め、表情を整えて棺に納める。笹原さんは、損傷の激しい遺体でも生前の表情を復元する技術に長けているとのこと。もともと岩手県北上市でお仕事をしていたが、今回の震災・大津波で亡くなった方の復元にボランティアで取り組んだ。

笹原さんの手により復元された遺体に対面した家族が、思わず故人に声をかけ涙を流し悲しみを露わにしていく有り様は、どのエピソードにも心を揺り動かされる。まさに深く濃い浄化の時間がそこにある。

笹原さんの復元技術は驚異的なものらしい。大人には遺体が「元に戻った」「寝ているみたいだ」と驚かれ、子供たちから「魔法使いなの?」と尋ねられる。「こんな顔じゃない」と言われることは一度もなかったそうだ。とにかく完璧ということなんだろう。

人間の心は、弱い。直視できない現実というものがある。残酷すぎる現実を、少なくとも「悲劇」として心の受け入れ可能なレベルにまで修正する。そんな笹原さんの「魔法」の内実は、強い意志に支えられた根気の要る作業である。

「復元でいちばん大事なこと。それは、自分に負けないことです。勇気と根性です。そして、この人は生きていたのだ、とあらためて理解することです」と笹原さんは記す。

そんな笹原さんでも、小さい子供を復元する日が十日間続いた時には、つらくて悲しくて声が出なくなり、ベッドから起き上がれなくなったという。そして、知り合いの住職に自分の思いのたけを打ち明け、その返事に泣きながら心の整理をつけて、再びボランティアに向かったのだという。

世の中には、地味だけどこんな凄い人がいるんだと、ただただ敬服する。

震災から1年半近く経って、自分はこの本でようやくその現実の一端を知る思いがした。震災の中心には2万人の死がある。膨大な数の、大切な人を失ったという経験がある。そのことに少しでも思いを致すことがなければ、「復興」や「絆」などの言葉を並べてみても、空疎に響くだけだろう。

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2012年8月16日 (木)

「パラサイトシングル」の変質

日経新聞電子版(8/15付)、家族社会学を専門とする山田昌弘・中央大学教授のインタビュー記事からメモする。

かつての2世帯同居は、親夫婦と既婚の子供夫婦が典型だった。今は未婚の中高年の子供と高齢の親の同居が急増している。 

最近増えているのは、親の年金と子供の乏しい収入を足してやっと生活をしているというケース。日本は住居費など世帯を維持するためのコストが高い。それでも住む家さえあれば、少ない収入でもなんとか暮らしていける。 

30歳代の男性の雇用状況をみると、結婚していれば正規雇用率は9割。親と同居している未婚男性の正規雇用率は6割にとどまっている。失業者は2割くらいだろう。親に寄生する「パラサイトシングル」も様変わりしている。かつては自分の小遣いを確保するためにという人が多かったが、今は親に依存しないと生活ができないという人が増えている。 

・・・山田先生は、シニアを頼る家計モデルは、親が亡くなれば崩壊すると指摘。若者の雇用対策の不在にも懸念を示している。

振り返れば、かつてバブル期の「パラサイトシングル」は、親元から会社に通うOLが代表例だったか。彼女たちの自由度の高い消費の在り様が、収入の大部分が家賃に消える地方出のOLとの対比の中で語られていた覚えもある。そして時は流れて「パラサイトシングル」の内実も変わり、今や日本的貧困を示す言葉の一つと化している。結局、日本では「住居費など世帯維持のコストが高い」ことが、好景気でも不景気でも、生活のネックになっている。

貧困から余儀なくされる「2世帯同居」や「パラサイトシングル」は、「孤立死」などの事件にもつながっている。現実に「孤立死」する世帯は稀としても、潜在的に危うさをはらんでいる世帯は相当な数に上るのではないか。雇用対策をはじめ政策的・社会的支援が求められているのは疑いない。

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2012年8月10日 (金)

森村誠一に学ぶ老後の人生

森村誠一といえば、自分的には往年のベストセラー作家という感じ。しかし御年79歳の今も、年間5~8冊の本を書き下ろすという。この驚異的な「生涯現役」作家は、高齢者の在るべき姿についてこう語る。「老後は、他人から干渉されない人生を歩めるのだから、やりたいことをやって、ぜひ自分の人生に決着をつけてほしい」と。日経新聞電子版(8/3付)からメモする。

60歳以降は人生の総決算期だと思うんです。生まれたからには決算はしたいですね。最後に、いったい自分の人生はなんであったかという決着をつけたい。どう決着をつけるかは価値観の問題なんです。つまり、「いいじゃないの幸せならば」なんです。本人が「俺の人生はまあまあだった」と言えれば決着がついている。どんなに大きな仕事を果たし終えた人でも、それに不満がある場合、決着がついていない。 

60代以降で大切なのは出会いだと思います。年をとると、新たな出会いが億劫になるから、昔の仲間としか付き合わない。新しい出会いがないと新しい文化が生まれないんです。

年をとると、異性との出会いが億劫になりますが、異性文化は大切です。今まで知らなかった女性の考え方とか、食事の仕方とか、ファッションとかです。

・・・自分も50歳を超えているので、作家の語ることを参考にする気持ちはある。ただ人生の決着を絶対につけるべきかというと、基本的に自分はユルい人間なので、まあ決着がつけばいいけど、つかなくてもそれはそれでいいかな、とか思う。(苦笑)

でもとりあえず、決算するつもりでおのれに課題を課すこと、あるいは異性に代表される自分とは違う文化や知らなかった文化に触れること、それらにより自らを活性化することは大事だなと。老後といいましょうか、何歳になっても自らを活性化し続けることが大事なのだと、そう思いました。

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2012年8月 9日 (木)

亡国の「小泉」政局

「破棄」も取り沙汰された民自公の三党合意が、党首会談により改めて確認されて、消費増税法案は10日に参院で可決、成立する見通しになった。本日付日経新聞の編集委員コラム記事の訴えるところをメモする。

日本という国の信認が揺らぐところだった。
消費増税の重要性はもはや論をまたない。国の借金残高は1000兆円規模に膨らみ、名目国内総生産(GDP)の2倍を超えてしまった。
消費増税が実現しなければ、格付け会社が日本国債を格下げする恐れがある。
1997年の前回の消費増税から15年に及ぶ「不作為」に終止符を打ち、財政再建の一歩を踏み出す必要がある。
優先すべきなのは決して政争ではない。

・・・証券会社勤めの自分も、日経に「洗脳」されているから(苦笑)、消費増税はやらなきゃいかんでしょうねと思ってるわけだが、今回の「解散時期を明示しなければ消費増税法案は通さない」という、殆ど因縁を付けるような自民党の要求には、恐ろしく理不尽なものを感じた。「約束は守れよ」という滅茶苦茶素朴なレベルで腹が立った。

今週発売の週刊新潮(8/16・23号)は、この政局の黒幕は小泉純一郎・元総理であると伝えている。小泉は「ここで解散に追い込まないでどうする」と谷垣総裁、大島副総裁、石原幹事長に檄を飛ばし、息子の進次郎を切り込み隊長にして、民主党政権の打倒へと自民党を動かしたのだという。全く酷い話で、余力を残して引退されたせいか、まだまだ生臭いお人であるにしても、部外者の無責任な扇動というほかない。

この政局の混乱を受けて、市場では国債が売られ長期金利が上昇。海外投資家からは「自民党の真意が分からない」という声が相次いだという。結局、コイズミが原因だと聞いたら、呆れられるだろうな。(苦笑)

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2012年8月 8日 (水)

「大伴昌司の大図解」に思う

先日、「大伴昌司の大図解展」(東京都文京区の弥生美術館、9/30まで)を見た。タイトルの通り、少年マガジン大図解に代表される大伴昌司の仕事の全貌に接することのできる展覧会。自分のようにリアルタイムで「大図解」の世界に遭遇していた者には、その価値とパワーを再認識する機会になった。

ビジュアル・ジャーナリズムの先駆者・大伴昌司、その仕事は今見ても全く古びていない、と言いたいところだが、しかしさすがに40年以上も経ってみると、時代の刻印がありありと感じられる内容であるのは是非も無い。

例えば大図解の「情報社会」は、大伴の時代を超えた先見性を如実に示す仕事であることは間違いないが、その一方で、あの時代ほど未来に対して過剰な関心を向けた時代も無かったような気がする(・・・今の子供は「僕たちの未来」とか考えたりするんだろうか。よく分からんけど)。時が経ってみると、1970年前後は、未来を考えることで時代を超えようとする、そんな時代だったんだなあという感じ。

個人的には大図解の中で印象に残っているのは歴史の話。最近も「魔女入門」が、岩波新書『魔女狩り』の大伴ビジュアル的な整理展開だったことを認識して、とっても感心してしまった。あるいは映画「トラトラトラ!」の戦艦長門の実物大セット(浜辺つまり陸上に作られていた)が興味深かったり、東京大空襲の犠牲者の写真がややトラウマ気味だったりした記憶がある。あの頃の小学生にとって、少年マガジンは教養書以外の何物でも無かった。

展覧会のカタログ代わりにもなっている『大伴昌司「大図解」画報』(河出書房新社)を参照しながら、大図解のテーマを書き出してみると、怪獣、妖怪、モンスター、魔界秘境、SF、UFO、第3次世界大戦(世界の終末)、「007」、「2001年宇宙の旅」、「サンダーバード」、万博など、やっぱり1970年前後という時代を感じさせるものであり、どうやら大伴の仕事も歴史の中に収まったのかな、という感じはある。

ただテーマは過去を感じるものになったとはいえ、大伴の図解という方法論の持つ意義が低下したという印象はない。大伴の図解は、その対象が想像物だろうが、歴史的事実も含めた現存の事物だろうが、そのリアリティを一層明確にする形で提示する。そこには、大伴のハイテンションな探究的姿勢がある。この点において、今も昔も大伴と同等以上の仕事をしている才能は稀なのではないか。

付け加えると、「ウルトラマン」の文脈で大伴昌司(1936-1973)を語れば、金城哲夫(脚本家、1938-1976)も思い出すことになる。共に30歳代後半で急逝した「ウルトラ」の二つの流れ星、大伴と金城。二人の天才の影響を無意識に受けて、僕たちは育った。あの時代のニッポンの子供で良かったと、あらためて思うのだ。

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2012年8月 7日 (火)

ジョン・ロードの死去

今月出た雑誌「BURRN!」を見て初めて、ジョン・ロードが死去していたことを知った。7月16日永眠、享年71歳。

ディープ・パープルのメンバーを初めとするミュージシャンの追悼の言葉にもあるように、ジョン・ロードはまさにロック界の「紳士」というほかない人物だったようだ。

彼の人柄を直接知るよしもない僕らも、例えばカリフォルニア・ジャムやBBCライブで、第3期ディープ・パープルの新メンバー紹介をする彼の声や話し方の穏やかな調子から、その紳士ぶりは充分窺えたのではないかと思う。礼儀正しい中にもユーモアと茶目っ気を見せる大人の男、ジョン・ロード。

そしてもちろん何よりもそのオルガン・プレイ自体が、彼の広く深い豊かな音楽性と人間性を示していたことは、誰も疑わないだろう。何しろハモンド・オルガンのサウンドといえば、条件反射的にジョン・ロードを思い出すほど、その独自性に溢れたプレイは他を圧倒するものだった。

ディープ・パープルは第2期以降、リッチー・ブラックモアのギターが主導するハード・ロック・バンドへと変貌を遂げたが、ジョン・ロードのオルガンが大いに存在感を保っていたことにより、ただのハード・ロックではない、いわばプログレッシブな味付けがなされていたことは確かだ。

ディープ・パープル再結成後の最初の来日(1985)、その公演パンフの中に記されたジョンの言葉によれば、「私はリッチーから教わったようなものだ。私はずっと彼のプレイに照準を合わせ、いかにキーボードで色を添えるかを考えて、自分のスタイルを作り上げた」ということである。

再結成時、リッチーもまた、「おいジョン、君のプレイがまた聴けて嬉しいよ。俺が何年もレインボーでこんなオルガンのサウンドを出す奴を探していたの知ってたろ」、と告げたそうだ。バンド・メンバーにハイレベルの能力及び人格を求めるリッチーにとっても、ジョンは最良のキーボード・プレイヤーだったのだろう。

いずれにしても、自分がティーン・エイジャーの頃のヒーローが、この世を去っていく時期に入ってきたようだ。向こう10年位は、さびしいニュースを聞く機会が増えるんだろうか。

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2012年8月 6日 (月)

ノイシュバンシュタイン城

7月21日、ドイツのノイシュバンシュタイン城を訪ねた。

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行く前は、ベタな観光地となっているお城に、特に期待もしていなかったのだが、実際に見たら感心してしまった。単純なワタシ。

やっぱりね、絵ハガキみたいなキレイな写真で見ても「ふ~ん」みたいな感じなのだが、実際にその大きさや質感を自分の目で見ると、「ほぉ~」という感じになるのだな、これが。かなりのもんだよ、ホントに。東に姫路城(白鷺城)あれば、西に白鳥城あり、なんて思ってしまう。

しかし我が姫路城は世界遺産だが、ノイシュバンシュタイン城は世界遺産でも何でもない。ノイシュバンは19世紀の、歴史上はごく最近の新しい城。しかも殆ど王様の趣味で作っちゃってるし。考えてみれば、19世紀後半にこんな大きな城を建てるなんて、日本でいえば明治維新の後に姫路城を建てるようなものなので、かなりアナクロ、時代錯誤の振る舞いであることは間違いない。まあ後の世に観光資源を残したとは言えるけど・・・この城を建てたルートヴィヒ2世は「狂気」に陥ったとされて、逮捕・幽閉されたのも分かるような気がする。そして直後に王は謎の死を遂げてしまう。

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実は30年以上も前、ヴィスコンティの映画「ルートヴィヒ」を見てたんだな、ワタシは。当時の邦題は「ルードウィヒ・神々の黄昏」だったけど。それは別にルートヴィヒ2世に興味があったわけじゃなくて、岩波ホールにかかる小難しい映画を、若気の至りで見ていた時期だったということで、その証拠に映画の内容は殆ど覚えていない(苦笑)。当時の映画パンフを見直しても、エリザベートの「あなたは私に叶わぬ恋という夢を見ているのだわ、ルートヴィヒ」なんてセリフの記憶を確かめるくらい。

DVD商品は「完全版」との触れ込みで、何と4時間。日本公開版の映画は3時間だったので、そりゃ長すぎるだろうと思っちゃいます。しかもアマゾンに気になるレビューがあって、死亡したエリザベートが眠るように横たわるシーンがDVDではカットされてるらしい。何しろ自分の殆ど唯一印象に残ってるシーンが無いというなら、また見ようという気も無くなるよ。(苦笑)

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2012年8月 5日 (日)

ローテンブルク

7月20日から23日までドイツを観光していた。ロマンティック街道を中心とする旅である。我ながら何でこんなベタなコースの団体ツアーに一人参加してるんだろ、とか思うのだが、その理由はアーヘンがコースに入っていたから。アーヘンを訪ねる団体ツアーは珍しい。こういうのも機会だよなと思って、とにかくアーヘンに行くのだと参加した次第。それから、ちょっと面白いと思ったのは、羽田から夜中にANAのフランクフルト直行便で出発し、当地の早朝に着いてそのまま観光開始、帰りも羽田に早朝に着くという、やや弾丸ツアーっぽいところ。この羽田―フランクフルト便(ボーイング787型機)は、どっちかというとビジネス向けの飛行機らしいが、確かに観光に使うのも合理的な感じはある。

さて、実際に観光してみると、意外と良かったというか、ベタなコースも行ってみるものだなという感じがした。ロマンティック街道の町ではローテンブルクに宿泊したほか、ビュルツブルクとネルトリンゲンに下車観光。

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何しろ「弾丸ツアー」なので、ローテンブルクは夕方に着いて短時間散策したのみだけど、なるほどチャーミングな街並み。日本人の好みに合う感じの場所である。しかしガイドブックで撮影ポイントとして紹介される「プレーンライン」と呼ばれる場所(写真上)は、実際に見てみると何だかあんまりピンとこなかった。町の中心地であるマルクト広場周辺(写真下)がフツーにキレイだと思う。

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当地では、夜警姿のガイドさんが町を案内する場面に出くわした。話は英語なので正直何言ってるのか分からない。ドイツ語のガイドさんもいるとのことだが、どっちにしても分からないね。ところでこのガイドツアーが始まったのは何時かというと、夜の8時。全然明るい。緯度の高いドイツでは夏場は本当に日が長くて、日没は9時過ぎになる。観光的には日が長い方が良いですね。

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2012年8月 4日 (土)

アーヘン大聖堂

ドイツのアーヘンは、神聖ローマ皇帝の戴冠式が行われた町。そもそも「ヨーロッパの父」カール大帝ゆかりの地である。

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アーヘンがコースに入ってる珍しい団体ツアーを見つけて参加。7月23日にアーヘン大聖堂(世界遺産)を訪ねた。以下は「週刊世界遺産」41号(講談社)からメモ。

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アーヘンの大聖堂は、フランク王国カロリング朝のカール大帝が785年頃に建設を命じた宮廷礼拝堂を起源とする。
カール大帝は、現在の独仏伊にまたがる大領土を統一し、800年にはローマ皇帝として戴冠。805年に完成した宮廷礼拝堂は、カロリング・ルネサンスの白眉といわれる。
大帝の死後、礼拝堂は神聖ローマ帝国歴代皇帝の戴冠式場となり、アーヘンの名は西欧世界に轟いた。
15世紀初頭、礼拝堂の東側にゴシック様式の内陣が加わり、17世紀半ばには礼拝堂にバロック様式のドーム天井が架けられた。増改築は繰り返されたが、礼拝堂の構造体はカロリング朝期の貴重な遺構として、今日までその形を保っている。

Photo_5写真は上から大聖堂外観、礼拝堂内部、玉座。自分の神聖ローマ皇帝二大アイドルであるフリードリヒ2世とカール5世も、戴冠式でこの玉座に座ったんでしょうか。

しかし海外旅行って、行く時は正直億劫なんだが、帰ってくると「ああ、行っといて良かった」と思う。それはいつものこと。で、帰国直後に聴講した朝日カルチャーセンター「西洋中世史」講座で、甚野尚志先生が参考図書として『地上の夢 キリスト教帝国――カール大帝の〈ヨーロッパ〉』を推薦したものだから、品切れ本のためアマゾンの中古で高値が付いていたにも係わらず、ほぼ衝動買い。こうして読みたいと思う本が、ただただ溜まっていくのであった。(苦笑)

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2012年8月 1日 (水)

「長い16世紀」

我らが証券業界出身のエコノミスト水野和夫(埼玉大学客員教授)が、今週の「週刊東洋経済」(8/4号)の特集「読書の技法」の中で、『芸術崇拝の思想』『陸と海と』『地中海』『近代世界システム』『国家は破綻する』など推薦図書15冊を挙げながら、「今起きていることは近代、あるいはキリスト教西欧社会を問い直して初めてその本質をとらえることができる」と述べている。同感。

水野先生は、上記の書物から「蒐集」や「陸(の国)と海(の国)のたたかい」などの概念を援用して、自らの歴史経済分析を展開するのだが、中でも興味深いのは「長い16世紀」という言葉。これはブローデルとウォーラーステイン、師弟関係にある両者が用いた概念で、15世紀後半から17世紀前半までを「16世紀」と見なして、この時代から資本主義とグローバリゼーションが始まったとするもの。水野先生は現在の世界が「近代の終焉」を迎えたと捉えつつ、中世が終わり近代が始まった「長い16世紀」を考えることで、未来への展望を得ようとしている。

さて、この「長い16世紀」、とりあえず「資本主義とグローバリゼーション」を横に置いて、単純にヨーロッパ史の一局面として教科書的に見ても、大航海、ルネサンス、宗教改革と、まさに変革と言うか、新しいものが生み出される非常に興味深い時代。ひとまず「長い16世紀」を、1453年ビザンツ帝国滅亡から、1648年ウェストファリア条約までと区分すれば、特に1517年ルターによる宗教改革の開始以降は、神聖ローマ帝国を主な舞台として、新教と旧教の争いからアウクスブルクの和議を経て、国際戦争に発展した三十年戦争、そして主権国家体制の確立に至る、まさに古い秩序が壊れて新しい秩序の基礎が固まる激動の時代だ。

さらに、この「長い16世紀」を日本史に当てはめてみても面白い。日本の16世紀はもちろん戦国時代。これを前後30年余り広げてみれば、1467年応仁の乱の始まりから、1638年島原の乱の終結まで、こちらも古い秩序が壊れて新しい秩序の基礎が固まるという時代。ヨーロッパとの接点もあり、キリスト教と鉄砲という、ソフトとハード両面から大きな影響を受けた。もちろん日本の場合は資本主義やグローバリゼーションを生み出すことはなかったけど、ヨーロッパ史と日本史の妙な並行関係には興味をかきたてられるものがある。

まあそんなことで、オイラもしばらく「長い16世紀」に思いを巡らせてみようかと。

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