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2012年7月30日 (月)

カール大帝、「聖戦」のはじまり

フランク王国のピピン、カールに始まるカロリング朝において、後の十字軍にまで至る「聖戦」思想が生まれた。7月28日の朝日カルチャーセンター講座「西洋中世史」(講師:甚野尚志先生)の内容からメモ。

フランクの王は血統によって決められていたため、メロヴィング朝末期に王国の実権を握っていたカロリング家のカール=マルテルも、血統権を踏み越えて国王の地位を奪うまでには至らなかった。しかしカール=マルテルの子ピピンは751年、王位についてカロリング朝を開始する。

ピピンの王位を可能にしたのは、ローマ教皇の与えた「お墨付き」だった。当時、ランゴバルド王国に脅かされていたローマは、「聖像崇拝問題」を巡る対立からビザンツ帝国の支援を得ることができず、フランク王国に接近。王は教会の保護者であるとして、ピピンの王位を認めた。そしてフランクはイタリアに進出、ランゴバルドを撃退しラヴェンナ地方を奪取。これを756年に教皇に寄進したのが、教皇領の始まりとなる。

カロリング朝において教会と王権が結びつく。ここに「聖戦」の思想が生まれた。既にピピンの時代から、フランク人は教会を守るために選ばれた民族であり、その使命はカトリック信仰を広めることである、とする物語が作り出され神話化されていく。フランク王国はキリスト教を広めるために領土を拡大する。異民族を征服してキリスト教に改宗させる。それは聖戦なのだ。

ピピンの次のカール大帝の時代に、この思想は一層強まる。カール大帝は異教徒の征服戦(ザクセン戦役など)を続け、各地を転戦する。版図の拡大に伴い、フランクは多民族国家となり、王国を統合する理念が必要になってくる。そこで持ち出されたのが、「帝国」だった。カールのブレーンであったアルクインは、「ローマ帝国の再生」を構想する。教皇権の再建による世界秩序の回復、すなわち帝国の再生。それはカールが皇帝になることで実現できる。800年、教皇レオ3世はカールにローマ皇帝の冠を授けた。ここに、西の「キリスト教帝国」が誕生した。

・・・古代ローマ帝国が後のヨーロッパに対して、いかにブランドまたはトラウマとして影響を及ぼし続けてきたか。あるいは、領土拡大に邁進する「新興国」に、キリスト教布教の意志が植え付けられることにより生まれた「聖戦」の思想が、後の世界にいかに大きな災厄を及ぼすことになったか。そんなことを考えてしまう。

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