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2012年7月 1日 (日)

ヘッセン方伯フィリップの話

16世紀神聖ローマ帝国内で、プロテスタント同盟を主導して皇帝カール5世に対抗した男、ヘッセン方伯フィリップ(1504~67)。6月30日朝日カルチャーセンター講座「神聖ローマ帝国とハプスブルク」(講師:皆川卓先生)、第3回の内容からメモする。

13世紀から続く名門ヘッセン方伯国。フィリップは16歳で君主となり、政務に精力的に励む。官僚制、軍事、宮廷など国政の全面的な改革を進める一方、敵対者には容赦ない姿勢を貫き、騎士戦争やドイツ農民戦争では、多くの貴族や農民を処刑・虐殺した。やがて彼は、領国内の「治外法権」の場ともいえる教会領を所有するカトリック教会の堕落に対して激しく反発。カトリックへの軽蔑をあからさまに示すようになる。

時はまさしく宗教改革運動の始まりの頃。カトリック教会は無用とするルターの教えに、若きフィリップは熱狂。彼はルターから助言を受けながら、ヘッセン方伯国のプロテスタント化を進め、領国内の教会領を没収し、武力で教会を威嚇するなどの行動に出る。このような動きに対して、皇帝カール5世を始めとするカトリックの領邦君主たちは厳しい目を向けた。フィリップもまた、プロテスタントを押さえつけようとするカール5世への不信感を募らせていく。

ルターとの対話の中で、「領民を守るため皇帝と戦う」という大義名分を編み出したフィリップは、ザクセン選帝候ヨハン・フリードリヒはじめプロテスタントの領邦君主たちと共に、シュマルカルデン同盟を結成(1530)。プロテスタント領邦君主のリーダーとして、勢力の拡大を図る。

帝国内のプロテスタント勢力の拡大を座視できなくなったカール5世は、フィリップの婿であるザクセン公モーリッツを味方に引き入れて1546年、フィリップとザクセン選帝候を帝国から追放すると宣言。フィリップも兵を集めて対抗したものの、モーリッツが本家であるザクセン選帝候の領地に攻め込むと同盟軍は動揺。皇帝軍がミュールベルクの戦い(1547)で同盟軍を打ち破ると、不利を悟ったフィリップは降伏を申し出る。皇帝との仲介役となったモーリッツは、義父は許されるものと期待した。

ところが皇帝はフィリップを捕虜にしてしまったため、モーリッツには失望感と不満が残された。1552年、機会を捉えたモーリッツは反逆の兵を挙げ、不意を突かれた皇帝は敗走。この結果、フィリップは釈放された。

「帝国のプロテスタント化」という野望が潰えた後、フィリップは内政に専念し、世界最初の中等学校「ギムナジウム」を作るなど、教育政策に力を入れて生涯を終えたのだった。

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