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2012年6月12日 (火)

「下町」って、どの辺?

本日付日経新聞(首都圏版)の記事から、東京・下町の歴史的変遷についてメモ。

そもそも下町に厳密な定義はなく、庶民の間に自然に使われ、定着した言葉だ。江戸東京博物館(東京・墨田)の竹内誠館長によると史料に初めて下町という言葉が表れたのは17世紀。文字通り低地という意味で、下町には町人、高台の山の手には身分の高い武士が住んでいた。 

やがて町人が武士に並ぶ力をつけると「下町」の意味に変化が起こる。文政期(19世紀)に幕府がまとめた『御府内備考』は「御城下町」の略だろうと解説。「将軍様のお膝元との思いが下町の誇りになった」(竹内館長)という。 

城下町なので範囲は狭い。江戸城の東側を西端に、東端は隅田川、南端は新橋、北端は神田川。中心には日本橋があった。一帯には大きな商家が多く、奉公人が肩を寄せ合って暮らした。人様に迷惑をかけない、困ったときはお互いさま。いわゆる「下町人情」がここから生まれた。 

明治期に入ると下町と呼ばれる範囲も広がる。当時の書物『日本名勝地誌』には「京橋、日本橋、神田、下谷、浅草の五区は俗に下町」と称するとある。江戸期の下町と同じく商業が栄え、職住近接の地だった。関東大震災で住民が墨田区や江東区に移り住むと、そこが下町と呼ばれた。戦後、古くからの下町がオフィス街化すると人がさらに東に移り、今では葛飾、荒川、足立、江戸川、そして大田の各区も下町と呼ばれるようになった。

・・・今の馬喰横山の辺りで育った僕の母親は、「葛飾は下町じゃない、場末だ」と言っていた。墨田区の小学校、中学校を出た僕も、下町と言えば、せいぜい向島、本所、深川の辺り、「川向こう」くらいまでという感じがするので、今のように東京の東側一帯が何となく「下町」と呼ばれるのはどうなのかなあ、という気はする。

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