「草食系皇帝」フリードリヒ3世
昨日6月2日は、新宿の朝日カルチャーセンター講座「神聖ローマ帝国とハプスブルク」(皆川卓先生)の第2回を聴講。テーマはフリードリヒ3世(1415-93)。というと、長生きと息子マクシミリアンだけが取り得、みたいに言われる凡庸皇帝のイメージだけど、近年は研究が進んで評価も変わってきたという。(以下は自分のまとめ的メモ)
まず面白いと思ったのは、フリードリヒ3世本人というより、参謀役の存在。その名をエネア・シルヴィオ・ピッコローミニ(1405-64)という、詩人・古典学者にして枢機卿秘書。1442年、フリードリヒはエネア・シルヴィオに出会うと、たちまち彼の豊かな教養と巧みな弁舌の虜になり、親交を結んだ。
当時の王侯貴族は武人意識が強く、その生活は狩りや騎馬試合、そして宴会に明け暮れるまさに「体育会系」。これに対して、フリードリヒ3世の趣味は庭いじりと読書。軟弱な「文化系」というか、「草食系」そのもの(笑)。しかし、このまるで武人風ではないキャラが、教養人であるエネア・シルヴィオには好ましいと感じられたらしい。出会った翌年には、彼は教会の仕事を離れてフリードリヒの下で働き始める。皇帝の参謀役となった彼は、大きな国家戦略の絵を二つ描く。まず、教皇から直接戴冠されることにより皇帝権威を強化すること。そして、フランスの牽制を狙いとして、アラゴンと同盟関係にあるポルトガルの王女を皇帝の妃として迎えること。計画は1452年3月に実現し、戴冠式そして結婚式も共にローマで行われた。1455年、故郷イタリアに戻ったエネア・シルヴィオは、教会内でとんとん拍子に出世。3年後には教皇(ピウス2世)にまで上りつめた。
「草食系皇帝」フリードリヒ3世は、自分から戦争を仕掛けることはなかったが、それは貧乏国出身のため自分で動かせる兵力が限られていることも理由だった。なので、もっぱら皇帝の権威を高めつつ、諸侯との連携を密にすることにより、対立する敵との争いを乗り切っていった。
またフリードリヒ3世は、帝国を表すシンボルやコピーを案出し、これを広めることに腐心した。一つは「双頭の鷲」の紋章、もう一つは「ドイツ人の神聖ローマ帝国」という国号だ。「双頭の鷲」は、もともと古代ローマ皇帝の紋章だったが、フリードリヒはこれを復活させて、帝国の各都市で使うように指示した。「ドイツ人の神聖ローマ帝国」も、1452年の勅令以後、フリードリヒは必ずこの名称を使用している。これらのイメージ戦略は、帝国の一体感を高め、皇帝への忠誠心を強めるのに効果があったようだ。
フリードリヒ3世は決してカリスマ的な能力のある皇帝とは言えないけれど、帝国をまとめるための人心掌握や人脈作り、イメージ作りを地道に進めたことは、相当に評価できるだろう。結果として、以後の神聖ローマ帝国が、ハプスブルクを中心とする「連合国家」として運営されていく仕組みの基礎を作り上げた人物だった、と考えられる。
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