美術史は哲学史に似ている
先日、「大エルミタージュ美術館展」を見に行った(国立新美術館)。副題は「世紀の顔・西欧絵画の400年」。先に雑誌「ブルータス」の最近号(5/1号)の特集「西洋美術総まとめ。」を眺めていたので、少し西洋美術の歴史的な流れを見ておきますか、連休中は都内のスポットはそんなに人は来ないだろうし、と思って出かけたら、これがまた結構混んでいて、我ながら見通しが甘かったというか、日本人の文化的関心の高さに参りましたというか。
それはともかく、西洋美術史用語の主なものを並べてみれば、ルネサンス、バロック、ロココ、新古典主義、ロマン主義、印象派、フォービスム、キュビスム、シュルレアリスム・・・とまあホントに多種多様。
しかし基本的な流れは、美術史というのは哲学史に似ているよな。その大雑把な流れとしては、まず古代ギリシャがあって、次にキリスト教があって、さらにルネサンスで両者が混じり合いながら、描かれる対象も神や聖書の世界から、自然や事物を含む人間の世界に中心が移り、対象を描き出すアプローチも客観的な写実から主観的な印象や情動に変わって、遂には抽象画に至るという感じだけど、特に描く内容が宗教から人間に移り、描き方も主観的な方法に変わっていく流れは、中世神学の後にデカルトが主観的哲学を確立し、さらにカントの主観が客観を構成する「コペルニクス的転回」への流れを、美術が追いかけているような感じがする。
ところで、「ブルータス」特集の中で、「絵の大きさや小ささは、実際に体験してみて初めてわかることであって、とても重要なポイントなのです。美術館に出かけ、実物を見ることは、やはり大切だと思いますね」(山口晃)との意見を目にして、このプロの画家の言葉に、自分はとっても心強いものを感じた。
なぜなら、有名な絵の実物を前にしても、絵の具や筆の使い方が分かるわけでもない自分のような素人にも、絵の大きさは問答無用で驚きをもたらすという実感はすごーくあるからだ。昔、ニューヨークの近代美術館で、ピカソの「アヴィニョンの娘たち」を見た時は、こんなに大きな絵だったのかとビックリしたし、ダリの「記憶の固執」を見た時は、こんなに小さい絵だったのかと意外感があったし、もうド素人は絵の大きさしか記憶に残りません。(苦笑)
最近ではプラド美術館でティツィアーノの「カール5世」を見た時も、こんなに大きな絵だったのかと驚き圧倒された。絵の大きさがカール5世の偉大さを表していると、もう素朴に感動した。絵の実物を見る、それは絵の大きさの体験です。実感です。
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