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2012年5月14日 (月)

キリスト教ローマが中世の始源

5月12日、新宿・朝日カルチャーセンターで「西洋中世史」(講師:甚野尚志先生)を受講。以下にメモ。

通例の時代区分では476年、西ローマ帝国の「滅亡」が古代の終わりと解されている。しかし、この出来事により、社会が大きく変わったわけではない。社会の変化という観点からは、ローマ帝国のキリスト教化が重要。すなわち313年のコンスタンティヌス帝によるキリスト教の公認から、392年のテオドシウス帝によるキリスト教の国教化まで、4世紀に起きた一連の出来事により、ローマ帝国は変質。時代は古典古代からキリスト教古代に移行した。この後期古代は7世紀まで継続する。

当初はキリスト教を迫害していたローマ帝国が、最終的にキリスト教を国教とする大転換が、なぜ起きたのかは歴史上の難問。

一番簡単な理由付けは、コンスタンティヌス帝が登場して変わった、という説明。伝えられるところでは、ライバルとの決戦を控えた皇帝は、天に十字架のしるしを見た。さらにお告げにより旗に十字架のしるしを付けて戦い、勝利したという。(結局宗教には、多かれ少なかれ御利益宗教の面があるってことかいな。苦笑)

このほか古代奴隷制の行き詰まりと共に、人間の平等を説くキリスト教が人々の間に受け入れられていった、という見方もある。

とにかくローマ帝国のキリスト教化と共に、教会制度と国家体制が不可分のものになり、ここに中世キリスト教世界の原初形態が出現した。

・・・何しろキリスト教は、ローマ帝国の宗教になったからこそ、後々のヨーロッパ世界に広まったということで、ローマ帝国のキリスト教化は、やはり世界史の大事件。何でそうなったんやねんと言っても、起きてしまったことは動かせない。まあ後から見ると必然的でも、同時進行的に見ると偶々だったのかも知れないが・・・でもやっぱり何でやねんと思う。

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