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2012年5月31日 (木)

小沢一郎という「意味不明」

本日付日経新聞社説は、野田佳彦首相と民主党の小沢一郎元代表の会談が平行線に終わった結果について、「堂々巡りを繰り返してもきりがない。小沢元代表との物別れは踏ん切りを付けるよい機会だ」と指摘して、小沢元代表の言動を批判。以下にメモする。

消費増税を巡り、野田政権は民主党の党内議論を経たうえで関連法案を国会提出した。与党議員は一致団結して法案成立を目指すのが筋だ。小沢元代表も例外ではない。どうしても消費増税に反対ならば離党するしかあるまい。 

そもそも小沢元代表は1993年に出版した自著「日本改造計画」で、当時3%だった消費税率を10%に引き上げるよう主張した。細川内閣では事実上の消費増税だった国民福祉税構想を推進した。 

この期に及んでの反対は政策論というよりも、与党内での主導権を取り返すための政局論と受け止められても仕方ない。与党にとどまりつつ、政権の足を引っ張るのはやめてもらいたい。

・・・過去20年、政界の権力闘争の中心人物であったともいえる小沢一郎。しかし最近の言動は全くもって意味不明。政策論にはもちろん、政局論にもなっていない。小沢が頑なに反消費増税を貫けば、野田政権は最後には野党案丸のみ、話し合い解散にまで突き進む可能性は大きいだろう。そして遠くない時期に総選挙になった場合、小沢及びそのグループに何かしら利益があるようには見えない。つまり、反消費増税に拘る小沢は、自分で自分の首を絞めているとしか思えない。もはや小沢一郎は存在そのものが意味不明の政治家、と言うほかない。

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2012年5月29日 (火)

原発事故当時のドタバタ劇

本日付日経新聞の、国会の原発事故調査委員会関連記事からメモする。

(菅)首相が官邸屋上からヘリコプターで出発したのは3月12日午前6時14分。民間事故調の報告書によると、ヘリの中で首相は斑目春樹原子力安全委員長に「俺の質問にだけ答えろ」と一方的に質問。水素爆発の質問に斑目委員長は「爆発はしない」と答えたが、午後には実際に水素爆発が起き信頼を失った。
7時11分にヘリが原発に到着。免震重要棟の会議室で「早くベントをしてほしい」と迫る首相に、吉田昌郎・福島第1原発所長は「決死隊をつくってでもやります」と答えた。首相は「この所長ならしっかりやってくれる」という印象を持ち、8時に原発を離れた。9時過ぎにベントの作業が始まり、約1時間後にようやく成功した。
 

(3月12日)午後6時に海江田経産相が首相に対し、原子炉に海水を注入する方針を説明。首相は真水を海水に代えることで再臨界が起きる可能性について質問し、その場では海水注入は決まらなかった。
一方、現場ではすでに午後7時4分から海水注入が始まっていた。それを知った(東電の)武黒(一郎)フェローは吉田所長に「首相の了解がまだとれていない」と中止を要請。政府の事故調によると、吉田は担当者に小声で「これから海水注入中断を指示するが、絶対に注水を止めるな」と伝えたうえで、部屋全体に響き渡る声で中断を宣言した。
 

(3月15日未明に)東電が福島第1原発からの撤退を政府に申し出た問題を巡っては、やりとりをした政府関係者が一様に「全面撤退」だと受け止めており、「全面撤退は全く事実ではない」(勝俣恒久会長)と主張する東電と食い違う。
「清水社長から電話で全面撤退の趣旨の話があった。『どんどん事態が悪化して止めようがなくなる』と指摘したら口ごもった。部分的に残す趣旨でなかったのは明確だ」(枝野前官房長官)
「清水社長がわざわざ電話をしてきた意味を考えると(全面撤退という)重い決断だったろうと思う」(海江田元経産相)

・・・やっぱり、ニッポンは現場の人が頼りになる国だという感じ。吉田所長の肝の座りっぷりには、あらためて敬服する。一方、清水社長は見るからに「逃げます」って言いそうな人だよな。(苦笑)

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2012年5月28日 (月)

オウム真理教の野望

先週末に見たNHKのオウム真理教特集番組で、教団の暴走について二つのことが指摘されていた。まず、1990年総選挙の敗北以後にオウムは凶暴化したのではなく、80年代から麻原彰晃は武装化を志向していたということ。もう一つは、地下鉄サリン事件を起こしたのは強制捜査阻止のためではなく、強制捜査の前にとにかく麻原の予言した「ハルマゲドン」状態を実現しようとしたということ。

結局のところ、事件の真相とは、麻原の妄想、資本主義と社会主義を倒して宗教の国を作るという妄想を実行に移した、ということになる。オウムの幹部たちは教祖の手足となって、その妄想を実現化する道を突き進んだ。

幹部たちは高学歴の人びとだった。自分の憶測では、彼らは単なる社会の歯車にはなりたくなかったのかも知れない。能力があるだけに、誰にもできないことをやりたかったのかも知れない。自己肥大化、一種のロマン主義の病。何にせよ、現実にサリンを製造し、散布する実行犯となった彼らの罪は、麻原と同等以上に重い。

番組中の再現ドラマで中心人物となった女性幹部がいる(事件の後に、彼女が「ここで一生を終えると思ったのに」と涙ながらに上九一色村を後にする場面で、信者になりきっていた冨樫真という役者さんは凄いなと思った)。彼女は社会に違和感を感じ、自分を変えたいと思ってオウムに入信した。その動機の切実さを疑う気にはならない。また、そういう気持ちを持つこと自体、人間の心の動きとしてはノーマルな範囲内にあるだろう。ところが、それぞれに切実な気持ちを抱えた人たちが、集団になると、アブノーマルな方向に足を踏み入れていくということが起こり得る。

神経症は個人には稀だが、国家、社会、集団にはごく当たり前のことだと、ニーチェは書いた。

人間の集団には、多かれ少なかれ原理主義的な性質がある。その性質は、出家信者という、社会との関わりを断った人々の集まりとなれば、なおさら強まる。他者を見失った集団が、指導者の妄想に支配されるのは当然の成り行きなのかも知れない。

個人の救済を目指した宗教集団で、やがて「救済」の名の下に殺人が正当化される。オウムを脱会しようとする、即ち「救済」を否定しようとする信者が殺されてしまうのは、「革命的でない」という理由により、仲間の命をリンチで奪った連合赤軍の論理と変わるところはない。オウムの妄想に近い「救済」も、最後は無謀な「暴力革命」と同じになってしまった。

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2012年5月27日 (日)

東武浅草駅、レトロ復活

今日は浅草に行ってみた。開業人気に沸くスカイツリー見物、ではなくて、東武浅草駅ビルが外観リニューアルしたという話を聞いて、実物を見ておこうと思い立った。

Photo_2

昭和初期の建設当時の外観を再現ということで、レトロにリニューアルした(変な言い方だな)東武浅草駅。完成したばかりの外壁が初夏の日射しに白く輝く、上品な洋風建築。以前のクリーム色のカバーで覆われた何だか素っ気ない感じの姿を一新した。というか、もともと洋風建築の建物だったのが、カバーで覆われてビルの地肌が見えなくなっていたわけだけど。

さて昔話だ。子供の頃、吾妻橋の近所に住んでいた僕は、カバーに覆われる前の浅草松屋(東武浅草駅ビルです)、アサヒビール工場や浅草仁丹塔の記憶を持つ者です。浅草松屋は少しくすんだ薄茶色の洋風建築。アサヒビール工場は夜はネオンサインを輝かせていた。かつては色褪せた水色の橋だった吾妻橋。そこから台東区側に目を向ければ、空にすっくと立つ仁丹塔。昭和40年代の墨田川はドブ川同然の状態で、水上バスはいつ潰れるかみたいな感じだった。

それがどうでしょう、今日も水上バスの発着所には大勢の人がいて、今は赤色の橋である吾妻橋付近には、墨田区役所、スカイツリー、アサヒビール本社が並び立つ風景の写真を撮る人多数。昔を知る者から見ると、この賑わいはまさに隔世の感(大げさ)がありました。

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2012年5月19日 (土)

独仏型資本主義の反撃?

本日付日経新聞市況欄コラム「大機小機」(資本主義の新たなシステム間競争)の執筆者「混沌」は、おそらく末村篤・特別編集委員のペンネーム。ということで内容も、末村氏執筆の8日付コラム「一目均衡」の続き、という感じなのでメモする。

仏大統領選のオランド氏の勝利は、金融危機後の世界の変化を映し、資本主義の新たなシステム間競争を予感させる。 

資本主義の多様性は新しい現実ではない。ソ連崩壊前後に評判になった「資本主義対資本主義」で、M・アルベールは、安定的だが活力に欠ける独仏型と、輝いてみえるが不安定な英米型を対比した。その後は、サッチャー・レーガン革命を先導した英米型が世界標準となり、今、その時代が終わろうとしている。 

オランド氏の主張は、社会を重視する新社会民主主義的な変革である。「生産と雇用と成長」で始まる公約は、共同社会の担い手として地域と中小企業に焦点を当てる。
企業に投資と雇用の拡大を求め、金融には実体経済への貢献を求める。富裕層や大企業への税制優遇を見直し、脱税対策を強化する「正義の改革」で、財政バランスに留意する。
公約は「大きな政府」への単純回帰ではなく、資本に偏重した従来型の成長から、資本と労働の公正な分配を通じた成長への転換構想といえる。
 

来年秋に総選挙を控える独との間で足並みがそろえば、欧州大陸に、金融主導のアングロ・サクソンモデルとは一線を画すフランコ・ジャーマンモデルの新資本主義が復活する可能性がある。

・・・ということで、日本もまた、「独自の哲学に基づく資本主義の確立を目指す」べきであると説かれている。

かつて冷戦終結時、ということはバブルの時代、日本型資本主義は欧州型に英米型を接ぎ木した最強の資本主義という話もあったが、それも今では夢幻の如くなり。

バブル崩壊を経て、一時はまともにアングロサクソン寄りの資本主義に向かった日本だが、それもリーマンショックで挫折。同時に、英米型資本主義がリードしたグローバル化の時代、「冷戦後」も終わった。

英米でもない欧州でもない資本主義の道はあるか。しかし「独自の哲学」を打ち出す、これがまた日本には難題だったりするよな。

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2012年5月14日 (月)

キリスト教ローマが中世の始源

5月12日、新宿・朝日カルチャーセンターで「西洋中世史」(講師:甚野尚志先生)を受講。以下にメモ。

通例の時代区分では476年、西ローマ帝国の「滅亡」が古代の終わりと解されている。しかし、この出来事により、社会が大きく変わったわけではない。社会の変化という観点からは、ローマ帝国のキリスト教化が重要。すなわち313年のコンスタンティヌス帝によるキリスト教の公認から、392年のテオドシウス帝によるキリスト教の国教化まで、4世紀に起きた一連の出来事により、ローマ帝国は変質。時代は古典古代からキリスト教古代に移行した。この後期古代は7世紀まで継続する。

当初はキリスト教を迫害していたローマ帝国が、最終的にキリスト教を国教とする大転換が、なぜ起きたのかは歴史上の難問。

一番簡単な理由付けは、コンスタンティヌス帝が登場して変わった、という説明。伝えられるところでは、ライバルとの決戦を控えた皇帝は、天に十字架のしるしを見た。さらにお告げにより旗に十字架のしるしを付けて戦い、勝利したという。

(結局宗教には、多かれ少なかれ御利益宗教の面があるってことかいな。苦笑)

このほか古代奴隷制の行き詰まりと共に、人間の平等を説くキリスト教が人々の間に受け入れられていった、という見方もある。

とにかくローマ帝国のキリスト教化と共に、教会制度と国家体制が不可分のものになり、ここに中世キリスト教世界の原初形態が出現した。

・・・何しろキリスト教は、ローマ帝国の宗教になったからこそ、後々のヨーロッパ世界に広まったということで、ローマ帝国のキリスト教化は、やはり世界史の大事件。何でそうなったんやねんと言っても、起きてしまったことは動かせない。まあ後から見ると必然的でも、同時進行的に見ると偶々だったのかも知れないが・・・でもやっぱり何でやねんと思う。

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2012年5月13日 (日)

教育あるいは学びについて

先日のNHK「ニッポンのジレンマ」特別編(僕らの救国の教育論)を見て、教育を論じるのは難しいものだとあらためて感じた。その難しさの拠って来たるところは、制度としての教育システムを論じる際に、各人が自分の学びの経験から出発せざるを得ないということかと思う。

制度としての教育システムには目的がある。番組の中で言われたように、「子供を社会化する」ことが教育のミッションだろう。教育は個のためか社会のためかという問いかけもあったけど、優先順位としては社会のためにあるというのは疑いない。だから教育が何かしら「訓練」の性格を帯びるのは、目的があるから当然なんだけど、その一方で、個の学びには目的は無い。強いて言えば「昨日とは違う自分になること」、でもそれも目的というよりは結果に近い。要するに学びは自由だ。

教育という言葉を使った時に、いろいろなレベルや範囲の話が混ぜこぜになる嫌いはあるので、そこは「教育」の定義を少し限定しないとまずいかなと。例えば「夢の無いヤツに教育は何ができるか」みたいな話もあったけど、制度としての教育にそこまで過大な期待はできないわけで。

「競争ではなく、協同的な学び合いの場」とか「お互いの自由を認め合って多様な生き方を可能にする」とかいうのも、まあ理想論というか抽象的な話でしかないな、と。

多様な生き方といっても、現実的には多様な職業に就ける、「おいら、どんな仕事でもできまっせ」という能力を身に付ける機会を与えるということが、教育システムに求められていることなんだろう。それ以上のこと、実際にどこまでできるのか、夢を見つけられるか(苦笑)となると、個の問題としか言いようがない。

このほか創造性やコミュニケーション能力の話も出てたけど、とりあえずコミュニケーション能力が何のために必要かと言えば、お互いの自由を前提にすると、みんなが好き勝手にやれば世の中は成り立たないわけだから、そこでお互いの間に規準や規範を作り出すために求められる、のだろう。それは問題解決能力にもつながるということで、ブレーンストーミングとか言われてたけど、まあそういうことになるのかなと。

創造性ってやつも、これもピンからキリというか、でもとりあえず各人が得意分野を見つけて自分のレベルで創造性を感じられればいいのかな、という気はする。だから、子供が自分の創造性を見つける、その手助けをする、きっかけを与えるコーディネーターとしての役割が、今の教師に求められている、というのもその通りかなと。

もうベタに言うと、いい先生に出会えればそれが一番いい。いい先生が増えればいいんだけど、しかし現実は厳しいみたいだ。そのことは、いま教職志望者が減っているという話をTBS報道特集で見て感じた。教育学部の学生さんでも一般企業に就職する人多数とか。教育の現場では学級崩壊とか怪物親とか問題が多くて、教師の負担は半端じゃ無いとか。ある学生さんの「子供が好き、だけではやっていけないと感じた」という言葉が印象的だった。

何だか状況は厳しいが、いい先生に出会えることは人生における無上の幸運だろう。突然だけど、ウィキペディアの記事からノーベル文学賞作家カミュの話を書く。

カミュの家は貧しくて、子供を高等学校に行かせる余裕は無かった。しかし小学校のルイ=ジェルマン教師は、カミュの才能を見抜いて家族を説得し、奨学金を受けてカミュは進学することができた。カミュは師の恩を生涯忘れることはなく、ノーベル賞記念講演の出版時には「ルイ=ジェルマン先生へ」との献辞を添えている。

このような美しい偶然=幸運が多くの子供たちに与えられることを願うばかりだ。

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2012年5月 8日 (火)

新自由主義から新社民主義へ?

本日付日経新聞・投資財務面コラム「一目均衡」(経済成長のパラダイム転換)は、末村篤・特別編集委員の執筆。以下にメモする。 

経済危機が社会不安に発展し、財政と雇用のトレードオフが政治問題化した欧州で、経済成長のパラダイム転換への動きが台頭している。 

国際労働機関(ILO)のソマビア事務局長は、本紙への寄稿で世界の成長モデルの変革を訴えた。「労働を生産コストと捉え、競争力と利益を最大化するために、できるだけ低く抑えねばならないと考え、少数者への富の偏在を招いた現在のモデルから、人々の福利増進と格差是正を主目的とし、生み出された良質の仕事の量で成功が測られる異なるタイプのモデルへの転換が必要とされている」という。 

過去数十年の経済政策の結果、労働(人間)は商品ではないという基本的な概念が失われ、資本に偏った資本と労働のバランスの回復を目指すものだ。労働の商品化を加速する市場の改革を進めて、成長率をかさ上げするという新自由主義的政策とは対照的な、新社会民主主義の思潮といえる。 

民主政治の振り子も揺り戻し始めた。仏大統領選を制したオランド氏は、「60の約束」で生産と雇用と成長を最優先課題に掲げた。 

過去10年の富裕層や大企業への税制優遇の見直しを中心とする「正義の改革」と並ぶ公約は、企業を起点とする資本と労働の分配の是正を意図するものだ。 

思潮の変化が現実を変えるかどうかは定かでない。 

それでも、欧州発の変化は資本主義の自浄能力を示す兆しとして注目に値する。 

危機の深化とともに、「むき出しの資本主義」を「人間の顔をした資本主義」に軌道修正するパラダイム転換の可能性も高まる。

・・・新自由主義は様々な言い方で形容されてきた。例えば資本の専制(柄谷行人)、資本の反革命(水野和夫)、資本主義の純粋化(岩井克人)等々。

その新自由主義は、リーマン・ショックで曲がり角を迎えた。それは、アメリカ主導による政治経済のグローバル化が進行した「冷戦後」の終わりという印象もある。

ここからはあらためて「成長」が肝心になる。成長を実現できれば、「新社民主義」は内実の伴うものになるだろうし、それができないのであれば、新自由主義的効率追求の道に戻るほかはないだろう。

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2012年5月 6日 (日)

美術史は哲学史に似ている

先日、「大エルミタージュ美術館展」を見に行った(国立新美術館)。副題は「世紀の顔・西欧絵画の400年」。先に雑誌「ブルータス」の最近号(5/1号)の特集「西洋美術総まとめ。」を眺めていたので、少し西洋美術の歴史的な流れを見ておきますか、連休中は都内のスポットはそんなに人は来ないだろうし、と思って出かけたら、これがまた結構混んでいて、我ながら見通しが甘かったというか、日本人の文化的関心の高さに参りましたというか。

それはともかく、西洋美術史用語の主なものを並べてみれば、ルネサンス、バロック、ロココ、新古典主義、ロマン主義、印象派、フォービスム、キュビスム、シュルレアリスム・・・とまあホントに多種多様。

しかし基本的な流れは、美術史というのは哲学史に似ているよな。その大雑把な流れとしては、まず古代ギリシャがあって、次にキリスト教があって、さらにルネサンスで両者が混じり合いながら、描かれる対象も神や聖書の世界から、自然や事物を含む人間の世界に中心が移り、対象を描き出すアプローチも客観的な写実から主観的な印象や情動に変わって、遂には抽象画に至るという感じだけど、特に描く内容が宗教から人間に移り、描き方も主観的な方法に変わっていく流れは、中世神学の後にデカルトが主観的哲学を確立し、さらにカントの主観が客観を構成する「コペルニクス的転回」への流れを、美術が追いかけているような感じがする。

ところで、「ブルータス」特集の中で、「絵の大きさや小ささは、実際に体験してみて初めてわかることであって、とても重要なポイントなのです。美術館に出かけ、実物を見ることは、やはり大切だと思いますね」(山口晃)との意見を目にして、このプロの画家の言葉に、自分はとっても心強いものを感じた。

なぜなら、有名な絵の実物を前にしても、絵の具や筆の使い方が分かるわけでもない自分のような素人にも、絵の大きさは問答無用で驚きをもたらすという実感はすごーくあるからだ。昔、ニューヨークの近代美術館で、ピカソの「アヴィニョンの娘たち」を見た時は、こんなに大きな絵だったのかとビックリしたし、ダリの「記憶の固執」を見た時は、こんなに小さい絵だったのかと意外感があったし、もうド素人は絵の大きさしか記憶に残りません。(苦笑)

最近ではプラド美術館でティツィアーノの「カール5世」を見た時も、こんなに大きな絵だったのかと驚き圧倒された。絵の大きさがカール5世の偉大さを表していると、もう素朴に感動した。絵の実物を見る、それは絵の大きさの体験です。実感です。

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2012年5月 5日 (土)

「五賢帝」のおさらい

先日、映画「テルマエ・ロマエ」を観た。原作はもちろんヤマザキマリの同名マンガ。正直、タイムスリップ物はその無理矢理感がどうも好きになれないのだが、このマンガ及び映画については、風呂という一点において日本と古代ローマを結び付けたいという作者の熱意の現われとして受け入れよう、という感じにはなるかな。

阿部寛が演じる主人公ルシウスは古代ローマの浴場設計技師、ハドリアヌス皇帝の時代の人。ハドリアヌスはいわゆる五賢帝の一人で、ヤマザキマリお気に入りの人物とのこと。映画では市村正親が扮している。

で、映画のことはともかく、五賢帝について簡単におさらいすると、紀元前27年に初代皇帝に就いたアウグストゥスが在位40年余りで帝国の基礎を固めた後、カリグラやネロといった暴君出現により混乱した時期もあったものの、紀元後96年のネルウァ帝即位以後の約80年間、5人の皇帝が在位した時代にローマ帝国は最盛期を迎えた。これがいわゆる五賢帝の時代。皇帝名と在位年は、ネルウァ(96~98)、トラヤヌス(98~117)、ハドリアヌス(117~138)、アントニヌス・ピウス(138~161)、マルクス・アウレリウス(161~180)。教科書的には、トラヤヌスの時代に帝国領土は最大となり、マルクス・アウレリウスは『自省録』の著作で知られる、というところ。

いわゆる「パクス・ロマーナ」(ローマの平和)というのは、18世紀の歴史家エドワード・ギボンが、五賢帝の時代を表現した造語(『ローマ帝国衰亡史』)。パクスとはローマ神話に登場する平和と秩序の女神。このローマの平和とは、戦争が無い状態ではなくて、ローマが最強という状態を指している。

しかし物事はすべてピークに達した後は混乱と衰退の道に入るというもので、ローマ帝国も3世紀の軍人皇帝の時代を経て、4世紀にはキリスト教が浸透。その国教化(392年)直後の395年、帝国は東西に分裂。既に375年からゲルマン人の大移動が始まっており、異民族の侵攻が続く中、476年に西ローマ帝国は滅亡した。

ローマ帝国500年の歴史において、最盛期とされる五賢帝の時代はその6分の1程度、意外と短い感じ。初代アウグストゥスから五賢帝までを「パクス・ロマーナ」としても200年と半分以下なので、ローマ帝国がむっちゃ強い国であり続けたという感じはしない。しかしそれでも帝国の強大なイメージは動かし難く、後の西欧に現れた国家支配者にも、ローマ帝国はブランドまたはトラウマとして作用し続けた、という感じはする。

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