« 20歳若返れたらいいな。(笑) | トップページ | 近代的理性の神学的背景 »

2012年4月 8日 (日)

「領邦君主」は「戦国大名」に相当

以下は、昨日4月7日新宿・朝日カルチャーセンターの講義(「専守防衛の超大国」神聖ローマ帝国、皆川卓先生)から、自分的なポイントのメモ。

神聖ローマ帝国(962-1806)は、侵略戦争をしない国だった。帝国の戦争は、他国から攻め込まれた時に対応する防衛戦争にほぼ限られていた。それは帝国が平和を愛する国だからではなく、侵略戦争ができない仕組みの国だったからだ。

帝国は国家というよりも「国家連合」に近かった。帝国内で実質的な統治を行っていたのは各地方の大領主であり、「領邦君主」と呼ばれる彼らの支持なしには、皇帝の地位も保てなかった(選帝候の存在)。領邦君主は、日本の戦国大名によく似ている。日本の戦国時代も各地に群雄が割拠していたが、信長-秀吉-家康が登場して、統一権力による「統一国家」が打ち立てられた。ところが、神聖ローマにはそのような実力で頂点にのし上がる存在は現れなかった。その代わりと言うべきか、神聖ローマには、強大化するオスマン=トルコ帝国という外圧が出現して、帝国の秩序形成を促した。領邦君主の力を結集してまとまるべきだという危機感の高まりを背景に、ハプスブルク家のフリードリヒ3世、マクシミリアン1世は「帝国改革」を実行する。帝国の裁判所、法の執行組織、軍制等が整えられた。この帝国改革が、日本の三英傑登場に匹敵する出来事になる。統一権力ではなく、共通のルール、合意形成による秩序が作り出されたのだ。

皇帝は自分の領地の軍隊を動かして単独で戦争に参加できるが、帝国として戦争を行うためには各領主の合意が必要だった。これがムダな戦争(侵略戦争)は避けることにつながり、神聖ローマは「専守防衛」の国となった。これは帝国が「連合国家」、領邦君主たちの共同体という政治システムであるがゆえの結果だった。

1517年に始まる宗教改革の影響により、帝国内の結束に亀裂が入り、さらに三十年戦争(1618-1648)の結果、皇帝の権威は失墜。皇帝家は文化芸術の重視による権威の演出に取り組み、皇帝の権威を回復させるが、やがて一領邦国家プロイセンが台頭。帝国内の力関係のバランスが崩れていく中、ついにナポレオンが登場して、帝国は「解散」することになる。

・・・神聖ローマ帝国の領邦君主は、日本の戦国大名とほぼ同じ、というのは話が分かりやすくて良いと思いました。

|

« 20歳若返れたらいいな。(笑) | トップページ | 近代的理性の神学的背景 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/174032/44798842

この記事へのトラックバック一覧です: 「領邦君主」は「戦国大名」に相当:

« 20歳若返れたらいいな。(笑) | トップページ | 近代的理性の神学的背景 »