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2012年4月 1日 (日)

「ニッポンのジレンマ」第2回

昨夜のNHK「ニッポンのジレンマ」、第2回は與那覇先生に尽きる。という感じだった。

今回のテーマは「決められないニッポン 民主主義の限界?」。討論するのは70年以降生まれの論客10人。まず各人の紹介&意見を述べる最初の一巡で、與那覇先生は「日本の民主主義の限界は、拒否権を持っている人が多すぎること」だと、いきなり明快すぎるほど明快に指摘しつつ、「日本の国会議員は〈百姓一揆〉の〈子孫〉」と歴史学者らしい例えを繰り出す。そして「国会議員の役割は、政府がまずいことをしようとしたらストップをかけること」であり、「決めさせないこと、間違った決定を下させないことに関しては、日本の民主主義は強い能力を発揮してきた」と説明。

議論の中盤には、日本の民主主義は「ダメ出しは盛り上がる。威張ってる奴の首を取る。それが日本の社会変革の場面で必ず起きるパターン。60年安保闘争も総理大臣を首にするまでは盛り上がった」という分析を披露。日本の地方自治についても、「空洞化している。オール与党体制で政党政治が機能しない、一回当選すれば知事は長期に亘り務めるなど、最も意味のない民主主義をやってきた」と一刀両断。

議論の殆ど最終場面でも、「日本人には民主主義は向いていない」と言い放ち、最初から最後まで、要所要所で鋭い存在感を発揮していた。(日本人は共感の幅を広げることが極めて不得手、というのが民主主義に向いていない理由)

テーマからすると哲学系の論者二人が議論をリードしてもおかしくないが、概ねオーソドックスな意見だったので、與那覇先生の鋭さの前には霞みがちだった。

議論の中で出てきたテーマでは、中間集団の解体がポイントかと個人的には思う。論者の言葉を使えば、今後は中間集団を再強化するよりは、中間集団なしでやっていく社会を目指す方向なんだろう。ネットワークによる「ウィークタイ」の形成とか、「見えない結社」の組織化とか。

「ノマド」って言葉も出てきたけど、これは自分の世代だと、懐かしの80年代ポストモダン、ドゥルーズかって感じ。今頃なぜとか思っちゃうが、まあいいか。

自分なりに思うことは、議論の中に「専門家に対する不信感」という言葉もあったけど、個人的にはそんな感じはなくて、この番組もそうだし、世の中にはいろんな人のいろんな意見が溢れているのに、どうして世の中は良くならないのか、不思議だったりする。専門家の意見を集約して活用すればいいんじゃないの?・・・と素朴に思うのだけど、でもそうなっていない。

今もめてる消費増税も、社会保障と税の一体改革の一環であるとしても、社会保障制度改革に向けた専門家の様々な提言が取り入れられている気配は無いまま、政府は増税に突っ走る。不可解。

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