ザヴィエル像の来歴
日本史の教科書でもお馴染み、聖フランシスコ・ザヴィエル像が発見されたのは1920年だそうだ。歴史的には、意外と最近のことなのだな。本日付日経新聞文化面、南蛮美術愛好者の父を持った池長潤・日本カトリック司教協議会会長の文章からメモする。
父、池長孟(1891~1955年)は、希代の南蛮美術コレクターとして名を残している。16世紀後半から17世紀にかけ宣教師らによってもたらされた西洋文化に、日本の文化が触れて生まれた南蛮美術。その魅力にとりつかれた父は相続した資産をつぎ込んで絵画や彫刻、工芸品など4000点を超える作品を収集した。
現在重要文化財に指定されている「聖フランシスコ・ザヴィエル像」や壮大な絵柄の「泰西王侯騎馬図屏風」「南蛮屏風」を私は書斎で目にした。重要な作品、価値のある作品を系統立てて収集するのが父の方針だったようだ。集められるものは全部集める。散逸してしまったら二度と一緒にはできない。そんなことを話していた。
父が神戸市に収集品を展示する私設美術館(池長美術館)を開いたのは昭和15年。隣地には作品を保管する倉庫、自宅も建てた。倉庫は頑丈な耐火構造にしていた。それが功を奏し、市街地のほとんどが焼失した大空襲でも倉庫は焼けずに残った。父は、美術品の無事を確認すると本当に喜んでいた。
戦後は財産にかかる税に苦しみ、収集品を散逸させないため昭和26年、美術館と美術品を神戸市に委譲した。現在の市立博物館がこのコレクションを受け継いでいる。
ザヴィエル像は大阪府茨木市千提寺の東家がキリシタン弾圧の時代から明治以降も「開けずの櫃」に入れて受け継いできた聖画だった。大正期、キリシタンの墓碑が確認されたことがきっかけでこの地が隠れキリシタンの里であることが知られ、様々な遺物が旧家の屋根裏などから見つかった。ザヴィエル像が発見されたのは大正9年(1920年)である。
・・・池長孟氏はザヴィエル像の所有者である東家の元に通いつめ、資金を作るため別荘を売り、ようやく聖画を手に入れた、とのこと。一般人から見れば常軌を逸したような執念を持つ収集家がいたおかげで、今日、我々は特定のジャンルの貴重な文化財を多数見ることができる、というわけだ。
このコレクションを含む展覧会「南蛮美術の光と影」は、昨秋東京でやってたけど、その時はあんまり見たい気持ちが盛り上がらなくてスルーしてしまった。同展は今週末から、コレクションの地元である神戸市立博物館で開催される。主催者に名を連ねている日経新聞の記事で何かちょっと興味が出てきたけど・・・神戸まで行ってみるか?
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