哲学を齧りなおす
人間、年を取ると若い頃にやってたことをやり直す、というのは、割とありがちなこと・・・(なのか?)。
自分の場合それに当たるのが、哲学の齧り直し。昨年度は朝日カルチャーセンターで西洋哲学史の講座に参加して、新年度もしつこく同じ朝カルで違う先生の西洋哲学史の話を聞いている。いちおう自分はニーチェで卒論を書いた人間、なんだけど思い出すと、へえそうだったっけ、いうくらい他人事みたいな感じだったりする。何しろ大昔のことだしさ。しかし安易な選択だったな~。できれば「ゲッベルスとナチスの宣伝戦略」(タイトルだけ考えた。笑)が書けると良かったんだけど、やっぱりそれ書くのは無理ですね。
で、若い頃齧った哲学を齧りなおすと、当然のように昔読んだ本や著者のこととか思い出す。渡邊二郎も川原栄峰も最近亡くなったんだな。木田元は健在だ。一昨年の秋、日経新聞の「私の履歴書」に木田先生が登場していて、その辺りから、自分も何となく哲学を齧りなおす気分が醸成されてきた感じ。
哲学思想というと、自分の場合、最初は御多分にもれずというか、実存主義っぽいところから入っていって、1980年代、自分が20歳代の頃は「ポストモダン」どっぷりという巡り合わせだった。上記の方々のようなオーソドックスな哲学者から、雑誌「現代思想」で活躍する「ニューアカ」の人々まで、適当に齧り散らしておりました。
その後、世の中は後にいう「バブル」の時代に突入し、これは経済のことを知らないとお話にならないということで、人文科学方面とはオサラバしてしまいました。世の中はさらにバブル崩壊、冷戦終結、グローバル経済へと激しく変化、すべてが訳わからん状態になっていく中で、とにかく株主資本主義やら市場原理主義やら新自由主義やら、経済方面からのものの考え方をチェックする、最近までそんな感じだったので、まさかここにきて哲学を齧りなおすとは思わなかった。
でも、きっかけとして思い当たることは、実は10年前くらいにあったりする。それはNHK番組で神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世を知ったこと。これが結構大きい。フリードリヒの十字軍は外交により、10年間の平和を実現した。イスラムとは戦わないけど、教皇とは争ってばかりいたヘンな皇帝の出身地はシチリア。当時の先進的なイスラムの学問・知識を吸収していた彼の地から、宗教戦争の時代を超越する皇帝が出現した・・・いやもう「こんな人がいたんだ!」という驚きが、歴史を知る醍醐味だな。
で、ここから12世紀ルネサンスとか、イスラムからのアリストテレス哲学の逆輸入とかの、恐ろしく興味深い話(知ってる人には当たり前の話なんだろうけど)にも出会うことになり、そうなると近年の八木先生や山内先生の中世哲学研究も視野に入ったりという具合で、何となく気分は哲学っぽくなってきた、ということはある。
まあ、そんなこんなで哲学を齧りなおしているのですが、改めての印象としては、もはや西洋哲学史も文化史の一つ、西洋美術史とか文学史とか音楽史とかとおんなじようなもんです。土台、ニーチェやウィトゲンシュタインの後で、哲学史は絶対的真理追求の歴史、とか思えないし。で、基本的にはヘーゲルで哲学史は終わりだなと。古代ギリシャと中世キリスト教をベースにした伝統的形而上学はヘーゲルを完成者として終わり、後は例のニーチェ、マルクス、フロイト以降、哲学は人文科学の一つになったという感じです・・・。
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